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プロフィール
小四の頃から、まわりの子に教えていたので、自然に教員となり、虚弱なため非常勤講師として、細々と70歳まで勤め、学べることが楽しかったです。
今も八王子の図書館で「イギリス児童文学を原書で楽しむ会=OE会」を続けて16年目になります。ここで扱った本の著者のバーリー・ドハテイと親しくなり、私の5,6歳時の「北朝鮮からの引揚げ話」の英訳を頼まれ、"1945 Surviving the Winter in Chinnampo"を自費出版し、幻冬舎版をお送りできました。初めに出た日本語版の『1945年 鎮南浦の冬を越えて』を、私の知らないうちに、米国議会図書館が購入してくれていたと2020年に判明して、英語版も受納してもらえました。2021年7月に幻冬舎から「電子書籍版」が出ることになりました。そして日本語版は、2022年6月に中学・高校生向けの形で、佼成出版から出る予定です。50数年にわたり(途中途切れ)終戦時の引揚げ記録に取り組んできたことになります。
東京女子大卒業後に、児童文学の「バオバブ」同人となりましたが、結婚後一年経たないうちに、未熟児の男女の双子が生まれ、勤めもあり、もう書くことは諦めよう、でも「引き揚げ話」だけは書き残してから、と五回連載したのが運のつきで、同人仲間にもっと書くよう勧められ、60数年、今も同人誌を続けております。その中から『やなぎ通りのスージーさん』『こまったこまった たんじょう会』が出版されました。
エッセイの方は、「ふだんぎ」という会に参加して、年に二回会誌に、載せて頂くと同時に、編集委員にも加わっています。
著書は創作と共作を合わせて20数冊です。翻訳は『ハリスおばさん』
シリーズ4冊の完訳版を、翻訳者の亡き後を受け継いで完訳とし、4作目の『ハリスおばさんモスクワへ行く』をひとりで担当しました。
『やなぎ通りのスージーさん』の第一章の「スージーさんとテケテンテン」
は、1996年に第五回小川未明文学賞優秀賞を受賞し、加筆して、PHP研究所
出版となったものです。
児童文学者協会会員の他に、子どもの本研究会会員でもあり、時折新刊本紹介などを依頼され、寄稿しております。
歌が大好きなのに、胃カメラ用の太い9ミリの内視鏡が、私には合わず、3回受けて、いつも血を吐くほどノドを痛めた上に、ついに歌う声が出なくなり、胸の中でいつも何かを歌っています。今は「青春時代」が出続けていて、うるさいです。先日までは「兄弟船」でしたが。「四季の歌」「雪椿」「岸壁の母」など、古い歌ばかりですね。時々、シャンソンや童謡もうかんで来ますが。
匂いに弱くて、飾る花が限られてしまうので、よその庭の、今はもっぱら
梅の木で、あじさい、モクレン、サルスベリ、皇帝ダリアなど、季節ごとに、今日は何カ所で何本見つけた、と遠目で数えては、楽しんでいます。
最近は、敬愛する夫がガン末期だけれど、頑張って生きようと、散歩を欠かさず、囲碁を一人で続け、お別れに訪ねて見える友人たちと、談笑している姿が、一日でも永らえるよう、支えているところです。 (これは1年前の思いでした。一年後の4月3日、今は本当の最終期を迎え、「今夜にも」と担当医師に言われ、「真夜中でも連絡を待ってるから」と言われた日から、今日で5日目。荒い息を吐きながら、眠っています。 声かけは充分にしましたが、かすかに目で頷く感じだけ、それももうできなくなりました。でもなにより、家での看取りができたことが、彼にとっても私にとっても幸せな日々でした。とこう記してから、ほんの数時間後の4月4日早朝、夫はみまかりました。彼の願い通りに、身内だけの家族葬で送り出します。ツイッターなどで、日記のように夫とのことを書いておりましたら、読んで下さるかたがおいでなのだとわかり、ほんとに励まされました。ありがとうございました。)