(35) 指カメラ
甲府行きの電車の中は、行楽客でいっぱいでした。星さんはさいわいにも、座れました。しばらくすると、向かいの座席の男の子が、退屈そうに、体をくねらせ始めました。
「ママ、駅はあといくつ?」
「8つ」
「ウエー、特急に乗ればよかったのに」
むくれたその顔がかわいくて、星さんはつい、指カメラを向けたくなり ました。
「ハイ、パチリ。今のお顔、写真に撮れましたよ」
男の子は吸い寄せられるように、身を乗り出してきました。まるで星さんの両手の裏側に、しかけがあるのでは、と確かめでもするように・・。
「やってみたい?」
「うん、やりたい」
男の子は目をかがやかせて、そばに立ちました。
上にむけた左手の人差し指に、右手の小指をかけ、左手の親指に、右手の薬指と中指をかけます。
「次が、ちょっとむずかしいのよ」
左手の小指と薬指の間に、右手の人差し指をはさむのです。そして、左手の中指と薬指を、右手の親指で押さえれば、できあがりです。
「ほらね。指が短くてムリよね」
「ぼく やる!」
男の子はふんばって、やわらかい指を、何度も組みそこねたあげく、とうとう、カメラののぞき穴を、作り上げました。
「できた!」
「右の親指を外して、パチリ、と言えば、ほら写るでしょ」
「ほんとだ。ママ、穴の中に写ってる!」
男の子は夢中になって、星さんや窓の外に、カメラを向けました。最初から何度もくり返しています。
すっかり覚えたころ、8つめの駅に到着しました。
「おばさん、ありがとう」
「元気でね」
お別れ前に写し合った一枚が、今も心に焼きついています。
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