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(私のエピソード集・12) 未熟児育て

保育箱から2ヶ月と10日後に戻った双子は、やっと2500グラムになったばかりで、実に小さくかよわく見えた。柳行李を身と蓋に分け、バラ模様の布でくるんで、その中に乳児布団を敷きつめ、風が直接当たらないようにした。掃除の時は、行李全体に大きなガーゼを広げて、ほこりがかからないようにした。

医師には、女の子は仮死状態で生まれたので、脳に障害が出るかもと危惧され、二人ともに、1年6ヶ月を過ぎても歩かない時は、小児麻痺を疑わなくては、とも言われた。

実際、最初の1ヶ月のうちに、女の子は三度も弔いの準備を考えたほど、危ない時期があった。強い黄疸が出たり、ミルクを噴出させるほど吐いたり・・。でも、女の子の方が生命力が強いといわれるのは本当で、その後、這うのも歩くのも、男の子よりずっと早かった。(この子が現在、栄養士として働きながら、フルマラソンに何度も出場しているほど元気でいる)

夫婦で話し合い、育児本とか、よその子の育ち具合とか、くらべないことにしよう、20歳までに、ふつうに暮せるようになれたら、それでいい、と決めたので、気は楽だった。それでも、風邪もはしかもおたふくも、必ず二人そろってかかる。片方が泣けば、つられてもう片方も泣くので、時に夜通し、一睡もせず、翌日の授業に出かけることもあった。

それが苦にはならないほど、日々育っていくのを見守るのは、楽しくてならなかった。

夫の母と姉が、富士宮での借家を引き払って、深大寺の同じアパートの別室を借りて、双子の世話を助けてくれた。

そして二人が1歳になった頃、八王子の現在の建売住宅の抽選に当選して、3LDK に6人で住むことになり、前よりものびのびと暮せることになった。近くに浅川とそのグラウンドの広場があり、桜並木の土手道も散歩できる。敷地のすぐ前には、1000坪ほどのススキの茂る原っぱもあった。

時間を見つけては、子どもたちとよく遊んだ。手足の刺激が、脳の神経細胞をつなぐことになると知って、歌いながら「せっせっせ」と手叩きしたり、おはじき、あやとり、ハンカチ落とし、お手玉、ボール転がし、すごろく、絵本読み、百人一首の坊主めくり、トランプ遊びなどなど。

引っ越してまもなく、女の子は歩き始めたが、男の子は1歳と6ヶ月になっても歩かず、やきもきさせた。その10日後にやっと一歩を踏み出し、小児麻痺の懸念も消えて、なんとも嬉しい日になった。もちろんその日、近所の子どもたちと、乾杯のパーテイをした。

(二人が2歳3ヶ月で、次男が生まれたが、3000グラムを越える正常な健康児で、しかもひとりなので、子育てってこんなにラクだったの、と驚いたほど、病院に通うこともなくすんだ。未熟児の双子の場合、3歳になるまでは病院にずいぶんお世話になった) 

双子の成長は遅く、男の子の方は、2歳下の標準に達しないほど小柄だった。中学生になって、クラブ活動を選ぶ時、運動部ではなく、文科系を選ぶよう薦めてみた。ひとつには、近くの中学の、運動部の部活が盛んすぎて、朝錬、昼錬はもちろん、夕方も暗くなるまでしごかれていて、体をこわした生徒を、何人か知っていたからだ。

そして、ある英文の記事の中に、植物の植え替えをする時は、簡単にあちこちさせないこと。エネルギーをためる時期を、作ってやるべき、とあった。人間の成長期にも、エネルギーを奪われすぎたら、大きくなれないままになるのでは・・と気がかりだった。土日は、地域の野球部に加わっていたので、運動はそれで充分では、と言い聞かせた。それで、息子は囲碁部を選んだ。

これが効いたのだろうか、高校生になってから、ぐんぐん伸び始めた。部活もバドミントン部に入って、思い切り楽しんでいるようだった。

中学の同窓会に出席した時には、あんなにチビだったのに、と驚かれたそうだ。最終的には、普通に生まれて、小中高と野球部を続けた次男よりも、兄の方が背が高くなっていたのだから、エネルギー保存法は有効な気がする。

未熟児でも、まずまず順調に育って、大きな病気をすることもなく、成人できたことは、なんと幸運な有難いことだったか! 


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