2章-(7) ポールと同伴者
すると、ポールが玄関の入り口に戻り、外にいる誰かに声をかけた。
「おれも入るの、チッ」
と、いやいやそうな声がして、ドアの中へもうひとり大男が入ってきた。 ポールと同じくらいの背丈、180cmはありそうだ。紫色のトレーナーに ジーンズ姿で、ガムをかんでいる。
「うえっ、デカいデブ、ああいうの苦手だな」
これは日本語のひとり言だった。ガムといっしょに口の中で、小さくつぶやいたその言葉が、香織には、はっきり聞こえた。彼が見ていた視線を追って、香織がふり向いて見ると、直子が電話ボックスの扉に手をかけて、今 入る所というかっこうで、こちらを見つめていた。
(感じ悪いよ、この人。直子、見かけだけ見てて、サイテイよ)
香織はスリッパをふたつ、そっけなく置いて、瀬川さんの後から、さっさと応接室へ向かった。
ふたりを応接室の椅子に案内して、客2人は奥の席へ、香織たちは手前の席へ、4人が落着くと、話はもっぱらポールと瀬川さんの、向かい同士で交わされた。
結城昌治と名乗った紫トレーナーは、ガムを噛みながら、へやの中や暗い外の中庭をうかがっている。合間に、瀬川さんと香織を、チラチラと観察しているのが見てとれた。
(感じ悪い失礼な人!) トレーナーの第2ボタンまで開けた胸元に、十字架のついた金の鎖を下げているのもキザっぽい。
瀬川さんが説明を始めてくれた。
「ポールさんは、星城学園の2年生に編入なさったばかりの、交換留学生 ですって。こちらの結城昌治さんのお宅に、ホームステイしてらして、これから1年間滞在なさるそうよ」
「へえ、おぬし、英語はできるんだ」
これも結城昌治のひとり言だった。瀬川さんをバカにしてる。香織は熱く なった。だから完全に無視することにした。
「でも、どうして私の所に?」と、香織は口を出した。
「それは、あなたのおかあさまに頼まれたそうなの。そうですよね、 ポール?」
瀬川さんの問い返しにポールは何度もうなずいて、ズボンのポケットから 紙切れを取り出し、香織に手渡した。
確かにママの字だった。あじさい寮の名、香織の名。大阪の住所とママの名。TEL番号まで、英語で書き添えてある。
「・・それじゃ、あの時の・・」
香織はやっと思い出した。入寮の日、学園の門のところで出会った外国人 青年を、ママは道案内して行ったきり、なかなか戻らなかった。それで入寮に30分も遅刻したのだ。
「そうそう、ぼくです。君のママが、僕を親切に結城君の家へ連れて行ってくれました」
ポールがゆっくりとした英語で、香織を見つめながらそう言った。単語を つなぎ合わせてみると、どうもそういうことらしい。
「それで、ちゃっかり・・」
また結城君がひとり言でつぶやいた。
「えっ、何ですか?」
香織は無視のつもりが、まともに結城君に問い返した。
「いや、何でもないっす。べつに・・」
結城君はそっぽを向いて、はでにガムをかんだ。こっちが無視されたようなものだ。
今度こそ、無視だ、と香織は思った。
瀬川さんの説明でわかったのは、こういうことだった。
あの日ママは道案内しながら、思う存分英語のおしゃべりを楽しんだのだ。
香織の姉が、今カリフォルニアの叔父の家から近くのハイスクールに通っていること。志織がアメリカの人たちのお世話になっているに違いないから、ポールがこちらにいる間にお世話してあげたいが、大阪転勤で出来ないのが、残念なこと。
スティブンソンという名が懐かしいこと。なぜならママは、ロバート・ルイス・スティブンソンの詩を取り上げて、清和賞をもらったのだ。
学校や生活が落着いたら、寮にいる娘を訪ねてやってほしい。ポールが日本語を覚えようとするのと同じように、娘も英語で苦労しているから。
「ただし、ひとつ条件がある、と君のママは言いました。ボーイフレンドとしてではなく、英会話の家庭教師としてお願いしたい、と」
ポールの生真面目そうな顔が、少しくずれた。ボーイフレンドの方がよかったんだけど、と早口の英語でつけ加えた。瀬川さんがクスッと笑った。香織は聞き取れず、戸惑っていた。すると結城君のひとりごとが耳に入った。
「星城は男ばっかりで、ポールはがっかりってわけ。オレもね・・」
香織はうつむいて笑ってしまった。いやいやそうにポールにくっついてきたけれど、結城君の本音は〈お相手募集中〉だったのだ。