6-(1) おっちゃんのひみつ
「マリ子、のぞき見するんじゃねぇちこ、いやしいで」
耳元でおとうさんのささやき声がして、マリ子はびくんとした。つま先立ちをおろして、窓からはなれた。ため息が出る。ほんとは、もっと見ていた
かったのに。
だって、となりの岡田のおっちゃんが、ついさっきの口げんかで熱くなったのか、窓のすぐ向こうで、あの首の白い布をほどきそうだったのだから。 おっちゃんはマリ子に見られているなんて、せったい気づいてはいなかった。おっちゃんの〈ひみつ〉が、マリ子の目の前で初公開されたかもしれ なかったのに。
マリ子は4月からずっと、あのほうたいの下に何があるのか、知りたくて ならなかったんだ。
でも、おとうさんの〈いやしい!〉という言葉は痛かった。ふつうは〈いやしい〉というのは、この村では〈食いしん坊〉の意味だが、おとうさんのはちがう。〈人として恥ずかしい、人の品位を落とすふるまい〉のことだ。
マリ子はいたたまれなくて、かべにかかった麦わら帽子をつかむと、飛び 出した。
おとうさんの方は、もう忘れたみたいに、新聞にのった、自分の高校の野球部の記事をながめていた。
俊雄と良二、むつおたちが、納屋の前の日かげで、虫かごをのぞいていた。マリ子が近づいてみると、かごの中には、チョコレート色のみごとなカブトムシが2ひき、つのをつき出して、はっている。
「あ、食うた!」
良二が入れたスイカのきれはしを、大きい方がなめている。
俊雄はマリ子を見ると、ちょっと声をひそめるようにして言った。
「すげかったのう、さっきのけんか! ぜんぶ聞こえたろうが」
マリ子はうなずきかけて、首をふった。岡田のおっちゃんと、野原しげるのおかあさんが、ついさっきまで、マリ子のいた窓のすぐ向こうで言いあら そっていたのだ。そのはげしさにおどろいて、マリ子はのぞきかけたのに、首をひっこめずにはいられなかった。
それで、あらそいの中身までは聞き取れないでいるうちに、おばさんは さっさと帰ってしまった。
「あれで親子じゃけんのう。めったに会わんくせに、会や口げんかしとる」
俊雄が思いがけない事を言い出した。
「初めはおっちゃんが娘を捨ててしもうて、今は、娘がおっちゃんを捨て とんじゃ」
と、俊雄はなぞのようなことを言った。
「ほんなら、おっちゃんは、しげるのじいちゃん?」
マリ子は初めて気づいて、目を丸くした。西浦の人たちの関係は、引っ越して来てまもないマリ子には、まだよくつかめていない。紙芝居の時、しげるも岡田のおっちゃんも、まったくそんなそぶりは見せていなかったし・・。
「あれ? マリッペは知らなんだんか。ほなら、首のきずのこともか?」
「きず? あのほうたいは、きずをかくしとったん?」
マリ子はますます目をみはった。俊雄はうなずくといっそう声をひそめた。
「おっちゃんの首にゃ、ぼっけぇ(すごい)きずあとがあるんじゃ。刀でか、包丁でか知らんけど・・」
あのほうたいの下に、そんなひみつがかくされていたとは! でも、なんで包丁?
もっとくわしく聞こうとした時、俊雄のじいちゃんが〈はふご(わらで編んだ入れ物)〉をかついで、納屋から出て来た。
「俊雄は、ふろの水をくんどけ」
「わかっとるて、じいちゃん。わくぐりのこずかいは、ぎょうさん頼むで」
俊雄は答えて、井戸へとんで行った。
「そうじゃ、うちも水くみの当番じゃった」
マリ子もいそいで、うちへ引き返した。
〈わくぐり〉の祭が今夜、裏山の中ほどにある八幡神社の境内で行われる ことになっていた。夜店も出て、にぎわうはずだ。帯野村では、一王寺神社と木野山神社に続いて、この夏3度目の最後のわくぐりは、西浦でも大事な行事のひとつだった。
(画像は、蘭紗理作)