欲しい言葉は、「ありがとう」じゃない。
つわりの妻の分も、料理や洗濯、掃除などの家事をしていたってのが、前回まで話した部分(ちょっと日が空いたのでおさらい)。
で、まぁそんな生活をしているものだから、もはや満身創痍なわけで。「本音を書く」というコンセプトで記事を書いているので書き殴らせてもらえば、「つわりで大変」という妻の状況を頭で理解できていても、内心ではやはり「少しは手伝ってよ…」というイライラが心を支配していた。
今思えばどうってことないのだけど、当時は仕事もあまりうまく回っていない状態だったこともあり、「いっそ倒れたほうが楽だ…」と考えるほどだった(ちなみに激務過ぎて人生で何度かそのように考えたことはあるが、親が頑丈な心身に産んでくれたおかげで、3日連続で徹夜して仕事をしたときでも倒れなかった)。
そうしたモヤモヤを抱えながら、仕事に家事に奔走しているときに実感したのは、「世の中のワーキングママすげぇ」のひと言だった。僕の務める会社のようなグレー企業にも、ワーママは存在する。時短なので16時に退社するけれども、その際のスピードが半端ない。そりゃ少しでも遅れれば保育園から延長料金を取られるから、死活問題である。光速にも等しいスピードで子どもを迎えにいったあとは家事のスタート。そしてまた翌日にはきっと、子どもを保育園へ預けて、出勤するのだろう。母親のバイタリティすごすぎ。
おそらくこのとき、僕が誰よりも共感と尊敬の念を抱いたのは、ワーママさんだろう。それとともに、世にごまんとはびこる家事をしない父親たちに殺意を抱いたものである。つくったご飯に対して「おいしい」とかやってもらったことに対して「ありがとう」とも言われない、僕がその立場なら確実に離婚待ったなしだ。
世の中の主に夫に向けられた記事の中で、「感謝の言葉をきちんと伝えよう」みたいなメッセージが見受けられる。でも、あくまで僕の経験から言えば、「ありがとう」なんて言葉では溜飲は下がらない。下手したら、「だったら手伝ってよ」の反撃を受けるだけである。
家事に仕事にいっぱいいっぱいになっているときに、どんな言葉がほしかったか。それは、僕にとっては「ありがとう」ではなく、「何か手伝おうか」の一言だ。もちろん、そう言ってもらったからといって、本当に手伝わせるつもりなんてない。安静にしていてほしい。でも、「何か手伝おうか」という言葉には、「やってもらっていることを当たり前だとは思っていない」という気持ちが見えるのだ。あなたのことを気にはかけているよ、と。
妻のつわりで味わった夫としての苦労を辛かったことをすごくポジティブに捉えるのであれば、「気持ちが落ち着く言葉」を見つけられたという発見があったこと。きっと子どもが生まれたら、再び地獄のように忙しい日々が訪れるのだろう。そのときに、「ありがとう」ではなく妻に「何か手伝おうか」と声をかけ、行動できる夫・父親でありたい。