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あいまいな生き物のほね3

 その日は朝から暑くて、日焼け止めを塗ったそばから汗をかくので果たして駅に着くまで顔面の皮膚上に残っていたのかあやしい。

 ジェンダークリニック三回目の診察。待合室でハンチバックを読み始めたが最初のハプニングバーの描写ですぐに疲れて読むのをやめた。他に読むものもなかったので小一時間ほどただぼんやりと待った。

 今回の自分史は小学校低学年まで。服装のことや遊びのことを中心に聞かれた。兄のおさがりを着るのが好きだったことや、たまに兄たちのサッカーに混ぜてもらっていたがボールが回ってくることはなく、ただ走り回っているだけだったことなどを話した。走り回っているだけでも、楽しかった。それは多分サッカーがしたかったのではなく、彼らの仲間に入りたかっただけだ、と思った。今も昔も、サッカーには全く興味がない。
 外での男の子の遊び(遊びに性別をつけるのもナンセンスだと思うのだが)、が好きだったのは、女の子との遊びからの逃避でもあった。その頃から(今も)僕は人と何を話して、どう遊べばいいのかが分からず、ただ身体を動かしてボールを追っかけているだけで出来るコミュニケーションの方が楽だった。それが性別によるものなのか生来のコミュニケーションの下手さゆえなのかは分からない。少なくとも、ボールを追いかけるのは別に好きじゃない。

 そんな話をしていたら、小学生のその時期、父から友達と遊ぶのを禁じられていたことを思い出した。たしか、何かの罰だったはずだが何の罪だったかは思い出せなかった。遊ぶのが下手になったのは、その頃からな気がする。他にもビデオやお菓子を長らく禁じられていたが、その罪も覚えていなかった。

 僕は両親のことを悪く言うのが苦手だ。一つ悪いことを言ったら、十個くらいいいところを言わないといけない気がする。何不自由ない生活をさせてもらって、結婚しろとか働けとかも言わない(まあ無理なんだが)。「良い親」だと思う。それなのに抽出の仕方によってはいくらでも毒親に仕立てられる。それがなんだか恐ろしくて、両親のことを話すのはいつも慎重になる。
 ただ、今回はなぜだかその話をスラスラと出来たし、「意味のないことでしたね」と笑うことすらできた。一つ、自由になった気もしたし、一つ、取返しのつかないことをした気もした。これは性別とは関係ない。

「他に最近、何か心配なこととかありますか。」
 診察の終わりにそう聞かれて、少し迷ってから「恋人と別れてしまいました」と言った。彼のことをちゃんと好きだったこと、自分の性別のことが言えなかったこと、相手から性的なことを求められると、それは普通の流れのはずなのに、途端に気持ち悪くなってしまったこと、最後はひどい言葉で傷つけてしまったことを話した。
「この問題を解決しなければ、ずっと独りぼっちなのかと」
 最後まで言えなかった。医者は僕にティッシュを差し出した。
「あなたが、自分を犠牲にしなくてよかった。」
 しばらくして医者は静かに、しかしきっぱりと言った。身勝手な人生を送りながら、そんなことを褒められたようでまた泣けた。自分を守るために人を傷つけている。いつまでそんなことを繰り返すのだろうと思った。僕だって、人に優しくしたかった。
「大丈夫だから。」
 医者はまた、力強く言った。
「今、本州にいるけど、北海道だって、四国だって、九州だって沖縄だってあって、北半球と南半球もあるんだから。」
 その例えはよく分からなくて笑ってしまった。沖縄は九州だよと思った。
 訳の分からない励ましというのはその訳の分からなさに笑ってしまって、人間はとりあえず笑うと少し元気になった気になる。

 少しして落ち着いた後で血液検査をした。採血をすると貧血を起こすことも、アルコールにかぶれることも言えなくて、二つの質問に「大丈夫です」となぜか自信満々に答えた。案の定、帰り道でふらついて近くのカフェに入り腕は後から後からかゆくなった。
 カフェではレモンティーソーダと、少し迷ってからサンドイッチを頼んだ。飯を食おう、と思った。
 医者も看護士も、まず「ちゃんと食べてる?」と聞いた。僕は「食べてません」と答えた。その質問は彼らの職業柄なのかもしれないが、僕には優しさに感じられて、次は「食べてます」と答えたかった。あと、普通に歩けるようになりたかった。
 自分の性別と向き合ったところで人生は全く大丈夫にはならず、大丈夫になる気は全くしなかった。むしろ悪くなっている気すら、した。それでも食べなければますますどん詰まっていくと、本当はずっと分かっていた。

 サンドイッチを食べていると隣の席で怪しげな勧誘が始まった。「薬じゃなくて、波動で治す時代なのよ。」と六十代くらいの女性が大まじめに語っていた。量子力学が~という説明を聞きながら、へえ、と思った。