あいまいないきもののほね
どうも山ぱんだくんです。あ、え?うん、あー、年賀状ね?うん、あんね、やるやる。もうね、構想は出来てるからね。やっちゃうからね。ぱぱーーっと。やっちゃうから。
さてさて山ぱんだくんと月曜の理屈
第八十七回は「あいまいないきもののほね」
第八十七回 あいまいないきもののほね
12月27日、せっせとラボに行くと大学生協がやっていなかった。自販機で売っているソースカツパンとかいう駄菓子のソースカツ1枚挟んだだけのトチ狂った商品をお昼ご飯に食べた。責任者を呼んで欲しいと思った。
身の回りから必要なものが消えていらないものが増えていくと、年末年始を感じる。さよなら2019年。こんにちは2020年。昨日、ゾウの国に一緒に行った叔母がゾウが描いた絵を見て「なんでZOZO年って書いてあるの?」と言ったのでもう2020年がZOZO年にしか見えない。今これを読んだあなたも、もうZOZO年にしか見えない。東京ZOZOである。
年末年始ということで今年の振り返りとか来年の目標とか考えたいけど頭のメモリが少なくて今日と明日のことしか考えられそうにない。今日はお土産のお菓子を買った。明日は一日中バイト先で蕎麦を売るのでみんなで頑張ろうねとそのお菓子を持っていく。特に板さんは病み上がりなのでいっぱい食べて欲しい。そのぐらい。
心身ともに良好とは程遠いけれど、それでも生きている。今日は。明日も、多分。そのぐらい。
たまに吐くけどごはんを食べる。たまに叫びながら飛び起きるけど夜眠る。急に泣きそうになると暗い場所に逃げ込む。劇場なんて、とてもいい。劇場に行って席について、暗くなるともう大丈夫だと安心して泣く。その涙も全ては作品への感動に擬態できる。そうやって人の力を借りたり少しずつ工夫したりしながら普通の生活をしている。
そんな感じで明日も、生きていく。出来ることなら少しだけ、人に優しく。
来年は、なんて大それたことは言えないので、ひとまず明日は、とあいまいに書く。明日が今日になったらその次の日のことを考えてもいい。最後まで頑張れたら、小さな骨をどこかに飾って欲しいと思う。
「あいまいないきもののほね」と名札をつけて。