君のナイフとか僕のナイフとか
どうもよなかくんです。本を読んでる途中で指を挟んだままうたた寝はよくするけれど、仕事本でそれやると指が鬱血するんでみなさん気をつけてくださいね。あの本、強い。
さてさて、よなかくんと月曜の理屈
第一一五回は「君のナイフとか僕のナイフとか」
第一一五回 君のナイフとか僕のナイフとか
自分との決着がつかなくてメンタルが底にいた時期、真っ暗な部屋で手元の小さな長方形の明かりが照らす「いつまちゃん」という人のツイッターをずっと見ていた。
よく、「この音楽に救われてきた」「本が心の支えになってきた」なんて言葉を聞くけれど、何故だか僕はその言葉を使う気になれなくて、ただ、見ていた、と言う。
それからしばらくして彼女のツイッターを見ると、リプ欄がひどい荒れようをしていた。「お前みたいなやつがいるから。」「男性蔑視だ。」「男たちがお前につけられた傷に気付いたんだ。」
たしかに、いつまちゃんの漫画は全世代・誰でも楽しめるものではないと思う。漫画の中の誰かが誰かを傷つけることだってあるし、読んで不愉快な気持ちになる人だっているかもしれない。
ただ、僕にはそうやっていつまちゃんに「傷つけられた!」とリプライする人たちが、彼女の漫画という刃を見つけて嬉々として刺さりにいっているようにしか見えなかった。
自分が好きな作品を全ての人に受け入れて欲しいなんて思っていない。でも誰かを傷つけるかもしれないその刃に、守られてきた人間だっているんじゃないか、と思う。
昔、オーロラを見つけた人は姿形が変わるオーロラを恐れて、ナイフで追い払おうとしたらしい。だからイエローナイフっていうのかな。まだコロナが大騒ぎになる前、カナダのイエローナイフでオーロラを見ながらそんなことを考えていた。
ナイフ、という誰かを傷つけうるもので自分を必死に守る。それがなんだか「僕」みたいだと思って、今回『雨は五分後にやんで』に書かせてもらった小説に『季節違いにナイフ』というタイトルをつけた。「季節違い」の意味は、お好きに。
どうしようもない自分を抱えながら生きている人がいる。滅茶苦茶で、破滅的で、時に人を傷つけてしまいながら、それでも必死にしがみついて生きている人がいて、そんな彼らを、僕は書きながらどうしようもなく愛している。
だから誰かを傷つけても仕方ないよね、なんて思ってない。人を傷つけてはいけないし、傷つけたくはない。ただ一つだけ言わせてもらうならば。
その傷はお前には関係ない。