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5代目農家さんが語ってくれた、ポンプ小屋の深い話

畑や田んぼ、漁港などに建つ小屋の写真を撮り始めてから、5年ほどになります。その中で見かけることの多かったのが、田んぼに水を引くためのポンプ小屋です。
最初に撮影したのは、埼玉県の河川敷でした。そのときは、川から水を汲み上げているのだろうぐらいに考えましたが、いくつもの小屋を見ていくうちに、ポンプが汲み上げているのは地下水だということに気づきました。
田んぼのあるところに必ずポンプ小屋があるというわけではなく、平地だから、棚田だからという法則があるわけでもなさそうでした。一つの集落内でも小屋が建っている田んぼもあれば、建っていない田んぼもあります。

いつしか、ポンプ小屋を設置するしないの違いはどこにあるのだろうかと、疑問を持つようになりました。
今回はポンプ小屋にまつわるお話をさせてください。

話はちょっと脇に逸れます。昨年末に福岡のテレビ番組制作会社から、「熊本県内で小屋巡りをしませんか」というお誘いをいただきました。NHK九州・沖縄エリア限定の番組で、小屋を取り上げたいのだとか。
そんな企画が果たして通るのかと半信半疑でしたが、何度かのやり取りのうちに、企画が通ったという連絡が届きました。早速、私は熊本に飛びました。
とはいえ、初めて訪れる土地勘のない場所です。熊本県内ならどこでもいいと言われても、範囲が広すぎて逆に途方に暮れます。
紹介できる魅力があって、所有者にお話も聞けて、撮影許可ももらえる小屋に出会うのは至難の技。番組ディレクターのIさんとあちこち車で周り、出会った人に声を掛け、ツテを頼ってなんとか辿り着いたのが、阿蘇のカルデラにある高森町でした。

ポンプ小屋を訪ねると、阿蘇の山々を望む景色が広がっていた

そこでポンプ小屋を見せてくださったのは、農業を営む津留智幸さん(56歳)です。
会うなり開口一番に「世の中にはポンプ小屋を撮りたいという変わり者がいるのですか。そんなものを撮ってどうするんですか」と笑い飛ばしてきました。
「町に人が来てもらうように、これまで様々な企画を考えてきました。それがまさか、うちのポンプ小屋の取材にNHKの方から来てくれるとは思ってもいませんでした。何がツボか分からないものですね。企画を立てるときの発想をガラッと変えないといけないです」と、幸いなことに取材を面白がってくれている様子。
田んぼのあぜ道を歩きながら、そして小屋の前で、お話を伺いました。(以下、敬称略)

「改めて突然の変なお願いにも関わらず、取材にご協力をいただき、本当にありがとうございます! ここの景色は美しいですね」
津留「ええ、目の前に見えるのは阿蘇五岳と言います。山頂がギザギザしている根子岳は高森町のシンボルです。今私たちが立っている場所は、阿蘇の外輪山の内側になります。火山の中に町があって、人が住んでいるというのは面白いでしょう」
「はい。初めて来ましたが、こんな雄大な景色が見られるとは思ってもいませんでした。ところで、津留さんは専業農家ですか?」
津留「高森町を未来の子どもたちに残したいと考えて、2019年から町議会議員もしていますが、農家です。先祖から受け継いだこの棚田で米を作っています。私で5代目です」
「ポンプ小屋を建てられたのはいつ頃ですか?」
津留「昭和30年代です。私の父の代の時に電動ポンプが導入され、小屋を建てました。ここは地下水が豊富な土地で、地下20メートルから汲み上げています。ボーリング業者は地形を見ると、地下水脈がどこを流れているのか分かるのだそうです」

津留さんは現在、ポンプ小屋を2棟所有しています。一つは大工さんに建ててもらい、もう一つは自分で建てたのだそうです。
「造作が明らかに違うのが分かってしまいますね。まさか他人に小屋を案内して、内部を見せることになるとは思ってもいなかったな」と笑いながら、中を見せてくれました。私は私で、所有者に案内されて、ポンプ小屋内部をちゃんと見るのは初めてです。これまでは通りすがりに、扉のない小屋をチラッと覗いたことはありましたが、今回は隅々まで堂々と(?)見られます。

扉の掛け金には、鍵代わりにドライバーが挿されていました。
「扉の鍵に南京錠を使わないのですね。なぜですか?」
津留「そんなところに目がいくのですか! ここでは誰も扉を開けたりしませんから、わざわざ鍵をかける必要はありません。ドライバーを挿しているのは、風にあおられて扉がバタバタしないようにするためです。
え、写真を撮りたいから、ドライバーをゆっくり抜いてほしい?いや、これ、ただのドライバーですよ!? 変な人だなぁ」
「変なお願いをして、本当にすみません。はい、ありがとうございます。撮れました(笑)」

大工さんが建てた小屋。
雨水が中に入らないように、扉の上にトタンの小さな庇が掛けられている
風にあおられても扉が開かないように、留め具としてドライバーを挿しているのだそう。
津留さんが建てた小屋。思っていた以上に大きなポンプが設置されていた

「ポンプが大きいですね!」
津留「工業用の200ボルトの電圧を通しています。ここは棚田ですので、汲み上げた水を上の田んぼまで届けなければいけません。そのためにモーターも大きくなります」
「どうやって水を送るのですか? パイプが見当たりませんが」
津留「地中に塩化ビニル管(塩ビ管)を通しています。当時は掘るための機械が手に入らなかったので、父たちが全て手作業で掘って埋めたと聞いています。最短距離でつなぐために、よその家の田んぼの下も通しています。なので、深く掘ってありますよ。地下1mのところに埋めてあるそうです」
「手掘りで1m!破損したときにパイプを交換するのが大変ですね!!」
津留「塩ビ管は100年もつと言われています。棚田の段差部分ではパイプが一部露出していて、そうしたところは劣化します。しかし地中は大丈夫なのだそうです。今のところ漏水などで地面を掘り返し、交換したことはないですね」
「このポンプと棚田とでは、どれくらいの高低差と距離があるのですか?」
津留「はい、一番高いところで、高低差が42mあります。一番離れている田んぼとは大体1kmぐらいあるでしょうか」

右のパイプは地下水と、左のパイプは田んぼへとつながっている

「1km! そんなに遠い場所まで水を送るために手作業で掘ったのですか!高低差42mというのもすごいです!(※筆者注 およそ10階建てのオフィスビルに相当)ポンプはすごく大切な役割を果たしているのですね!
それでは、ポンプがなかった時代は、どのようにしていたのですか?」
津留「それ以前は、裏手の山から流れてくる水や湧き水を取れる場所だけが田んぼでした。そうでない場所は陸稲を育てていたのです。陸稲を知らないですか。うーん、同じお米なのですが、畑で育てられるお米で、もち米がそのひとつです。水稲に比べたら陸稲は味が明らかに落ちますね。収穫量も少ないです」
「電動ポンプの普及で、それまで陸稲しかできなかった畑が、水稲のできる田んぼに変わったのですね!」
津留「そうなんです。これは地域の歴史に関わる話になりますが、戦後に農地解放されても、地主と小作の関係は残っていました。地主は水に恵まれた田んぼを比較的多くおさえていて、水稲栽培ができたのです。小作だった人たちは水を引けない畑で陸稲を育てていました。だから貧富の差は歴然として、地主が潤うシステムになっていたのですね。不作の年にはそれがさらにはっきりと出て、小作が借金のカタに田畑を取られることもありました。よその家には通じませんが、家族の中では田んぼ一枚一枚に地番ではなく、人の名前がついていて、それで呼んでいます。それは誰なのかというと、田んぼを開いた人の名前だったり、かつて所有していた小作人の名前だったりするのです」
「なんと・・・・・」
津留「だから、2代〜3代前、祖父や曾祖父のころからの怨念とでもいうのか、わだかまりが、今でも人々の心の中に残っていますよ。普段はそういうことは表に出てきませんが、お葬式のときの役割分担で、大変な仕事を誰がするかということで、あらわになったりします」
「でも、ポンプが普及したことで、貧富の差や昔から続いた力関係は解消されたのではないでしょうか」
津留
「だといいのですが、そう簡単でもないのです。湧水を引いて稲作をしている農家は、水の共同管理をしています。稲が水を必要とする時期はどこも一緒です。だからといって、みんなが自分勝手に水を引くと足りません。そこで田んぼの面積に合わせて、時間を区切って水を使うのです。その順番決めや時間の割振りのときに、地主と小作の関係が顔を出すのです」
「・・・。みんながそれぞれポンプを持てば解決しませんか?」
津留
「うーん、井戸を掘ってポンプを設置するのにも、お金がかかります。湧水のままでいいという人もいますからね・・・」

ポンプ小屋の話が、集落のかつての地主制度につながっていることに驚きました。しかし津留さんの語り口に湿り気は感じられません。重くなりがちな内容を至って明るく、面白おかしく話してくれます。「こんな話、とても書けないです!」と私がいうと、「いやー、書いていただいても全然構いません。本当に書けないことはもっとたくさんあります」。そう言って、呵々と笑います。

津留「地域の集まりでお酒が入ると、今でも『お前のひいじいさんにはこんなひどいことをされた』と昔のことを持ち出されて、私が非難されたりするんです。そういう時には、どうするのかって?  身に覚えのないことですが『すみません、すみません』と謝りますよ。ひいおじいさんの分を私が頭を下げているんです(笑)。
家がかつて小作だったり、地主だったり、それが今も人の気持ちの中に生きているんです。だから、なんでも我田引水、自分優先にしたらダメなんです。みんなに目配りできるかどうかが、すごく大事なんです。できるだけ平等にして、地域がうまくまわるようになったら、みんながハッピーになれるじゃないですか」

「いや、なかなか聞けない貴重なお話をありがとうございます。ところで、一年のうちでポンプは何ヶ月ぐらい稼働するのですか?」
津留「大体4月から9月の半年ですね。最も動かすのは8月です。田んぼの水は流しっ放しにすると、水温が冷たいままで稲が成長しません。だから夜間に水を張って、日中に陽の光で温めるのがベストです。そのために夜中2時に田んぼを回ることもあります。
渇水の年は地下水の水位も下がります。モーターを動かしているときは、常にポンプが水を汲み上げていないといけません。そんなときは、昼夜関係なく1時間おきに水位をチェックします。ポンプが空回りして壊れたら修理費がかかりますし、田んぼに水を送れなくなったら一大事ですから」
「大変な作業ですね」
津留「そうなんです!お米作りって大変なんですよ!(笑)  正直にいうと、農業を継続していくのはなかなか厳しいです。それでも続けられるのは、先祖が開いたこの土地を、私らが荒廃させたら申し訳ない、そういう思いがあるからです。数字だけの経済理論で言ったら、米作りはやめたらいいとなりますが、そうはいきません」

棚田をぐるっと見回すと、あちらこちらにポンプ小屋が点在しています。「ちょっと歩いてみましょうか」と、津留さんがほかのポンプ小屋へと案内してくれました。

小屋の左奥に見える山が高森町のシンボル・根子岳

わざわざ所有者に電話をかけて許可をもらい、ひとつの小屋の扉を開けてくれました。

几帳面そうな外観。ガラス戸は再利用だろう
ここでの戸締めは木材の端切れ
小屋の内部。地面を深く掘ってポンプを低い場所に設置しているのは、
モーターの負担を減らすためと思われる
かつて地主だった家のポンプ小屋。地主の証として、所有者が松の木を植えたのだそう。
それと知らなければ、タネが運ばれて自生したものとしか思えない。
一つの小屋、一本の木に所有者の思いが込められている

いくつか回ったところで、「よその小屋をこんなにまじまじと見たのは初めてですよ。鍵の掛け方や周りの様子から、その人の性格が伝わりますね」と、津留さんがおかしそうにつぶやきました。所有者の顔を思い浮かべているのでしょう。その口ぶりに嫌味を感じないのが、津留さんの人柄です。町議会議員に推されるのも、なんだか納得できてしまいます。

津留智幸さん

私はこれまで多くのポンプ小屋に出会い、写真に撮ってきました。しかし津留さんのお話をうかがっているうちに、それはあくまでも小屋の形を写しただけ、つまり表層をなぞっただけだと気付かされました。
高森町の事例がほかのすべての地域に当てはまるというわけではありません。しかし、電動ポンプの普及で、畑だった土地が田んぼに転換でき、稲作農家を豊かにした面はありそうです。

たかがポンプ小屋、されどポンプ小屋。
目立たずにひっそりと佇むひとつひとつにも、農家の苦しみや喜び、地域の歴史があるのだということを知っておいて間違いはないでしょう。(了)

協力 民宿きん(熊本県高森町 )、VSQ、NHKエンタープライズ

2022.04.02

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