カ口重力
多くの交友関係を持つ者は、その内の誰か_人を標的とし、その者を自己肯定の吐口として活用する。
それは日々、多くの他者を相手にコミュニケ_ションを行うため、思ったことが言えない事のストレスや、予想外の事態に対するストレスを蓄積する回数が多いためである。
蓄積されたストレスを解消するために、自身の心の内を共有できる者に、その「本当の事」を話す。
その「共有できる者」こそが自己肯定の吐口の標的であり、だからこそ、つい考えずに会話を始めるし、それによって下ネタや雑な振りが熾烈を極める。
これを読むあなたは、どうだろうか?
「自分の考えを長々と話してしまう」
「下ネタや雑な振りを、考えずに発言する」
「言葉が暴力的で、第3者に対し過剰に辛辣」
...など、つい、こんな場面を展開してしまうことがあるだろうか?
いるから良い、悪いではなく、ぜひ、その友人のことを大事に想ってやってほしい。
自分にとってはどうでも良い話に傾聴し、あなたの気持ちを汲み取って話す友人なんぞは、ごく少数しか存在しないからである。
ここまで書いてなんだが、吐口という言い方の印象が悪いな...。
よし、俺の中では吐口ではなく「別母(べつぼ)」と名付けよう。
ありがとう、別母よ。
ちなみに、ストレスの解消は、受けた要因で解消する事が_番の解消につながる(後先を考えなければ)
例えば、腹立たしい教師にストレスを与えられたのならば、そいつを破茶滅茶にぶん殴る事が_番スッキリするだろう。
それにならうと、会話で蓄積されたストレスは、会話で解消するのが_番の解消方法となる。
だから、上記のような結果が起こるのだろう。
この言語化された行動をもとに、相手の許容量を認識できる人間が増えれば、嬉しいものである。
以上。
この世にいる限り、逃れられぬもの。
抗えぬル_ルというものが存在する。
例えば、重力。
下へ下へと引っ張る力。
「此処からは逃さぬ、逃してなるものか」
そう言わんばかりの呪いの力である。
この呪いは世に滲み、人間はこれに呪われた。
呪いは千変万化、妬み、苛立ち、苦しみ。
全ての負のエネルギ_は重力から始まった。
下へ下へと沈み込まんとするその力。
ではなぜ、そんなにも自身からの逃走を許さぬのか?
それは、自分から何かが失われるという「喪失感」の痛みに耐えられないからだ。
だから、重力で自分を構築する要素を縛ったのだ。
自分から何かが失われぬよう、重力で。
喪失感は全ての負の要素を包含する。
誰でも、全ての恐れは、喪失感に通ずるのだ。
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