ふぇりぞーん

くらえ

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最近の記事

カ口重力

多くの交友関係を持つ者は、その内の誰か_人を標的とし、その者を自己肯定の吐口として活用する。 それは日々、多くの他者を相手にコミュニケ_ションを行うため、思ったことが言えない事のストレスや、予想外の事態に対するストレスを蓄積する回数が多いためである。 蓄積されたストレスを解消するために、自身の心の内を共有できる者に、その「本当の事」を話す。 その「共有できる者」こそが自己肯定の吐口の標的であり、だからこそ、つい考えずに会話を始めるし、それによって下ネタや雑な振りが熾烈を

    • ガチャ

      ある時、突然今朝の夢を思い出すことがある。 その「ある時」とは夢で現れた場面と重なる瞬間であり、これはデジャヴと似たような感覚で現れる。 しかし、そうなる時とは必ず「今朝、夢を見たはず」と、夢を見たこと自体を覚えていなくてはならない。 逆に、そうならない時とは「夢を見たこと自体を忘れている時」である。 夢は、良い。 無意味な空間、一貫性が無く次々と現れる人、物、空想の存在。 倫理や理性といったしがらみが存在せず、誰もが困惑する混沌空間。 美しい。 夢にはパワーがある

      • トヤナ

        またようこそ、そして始まりの日でもたります。 海にいきましょう。 目の前は「駅の隅っこにガチャガチャが?」 マックスウェル、夢の冒険へ旅立つ。 ウェル、旅に出る、明日は旅の時間である。 はやく明日にならぬか、なるか、どちらでも良いがこのワクワクは今にも胸肉を裂き出んとしているぞ。 今日はラクム42の日! が、今は朝、今は未だ朝なのである。 ウェルは絶望する、明日がこんなにも遠いなど、誰が想像したのだ、誰が感じたことがあるのだろうか。 すると、ウェルにべっこう色の

        • キチキチユメユメ

          ありとあらゆるものの構成要素はシンプルにあらず、複雑に入り混じり合いながら存在している。 例えば...人は脳髄だけでは歩くことは叶わない。 歩くためには筋肉が必要で、筋肉を機能させるには骨が必要で、骨にはカルシウム、カルシウムを得るには...。 と、人体はありとあらゆるもので組み立てられ、成り立っている。 だから「人体は何でできているの?」という問いには「人体の60%は水で〜 血は〜」などと、このように一言では言い表すことができないはずである。 しかし、構成する要素を

          ジャ〜ン

          テーーー テテテテテテ テッテテテーーー テテテテテテテーーーテテテテテテテテーーー テテテテテテテテテテーーーテテテッ テッ テーーー テーーーーーー 以上。

          ア・ロ・マ sunder コロンビア

          ア・ロ・マ sunder コロンビア

          ド・リ・ド

          教師が最も嫌いだ、中途半端な教師が最も。 気分で物を語り、気分で考えも直ぐに変わる。 雲集霧散のオナニー地獄、中途半端なやつは他者をオカズに下品な自慰を披露する。 いつまでも同じ場所で同じことを繰り返し、進化を恐れて止まり続けるお前から、一体何を学べというのか? 「面白い」が説得力のこの世界で「面白くない」お前からは説得力が感じられぬ。 教える側は「説得力」が必要だ。 悲しいかな、人々は言葉よりも「言う人」を見ている。  同年代に言われる「がんばれ」と尊敬する人から言われ

          ひらめきで制作したものは「無」に分類される ロジックで制作したものは「有」に分類される 他者の意見で制作したものは「虚無」である。 ひらめきで生まれる「無」とは、作り手を生かす手段にもなるし、生む要因にもなる。 だから「無」は必要なのだ。 「無意味」は「無価値」とは無関係なのだ。 ロジックで生まれる「有」とは、作り手を生かす手段になるし、人格者を生む要因にもなる。 だから「有」も必要なのだ。 しかし「虚無」はどうだろうか。 虚無は何も生まず、何も始まらないものだ。

          「いなし」のコミュニケーションは危険。 相手が不快にならないように会話をすることは、何も考えずに話すことでも成立するからである。 そして、「何も考えずに話す」という行為を続けると「言語化する能力」「話す能力」というのが衰えてしまうから危険なのだ。 それらが衰えると、人に話をした時に「つまりなんですか?何が言いたいのですか?」という返しをされてしまう。 これは前記したように、会話に脳を使わずにいたせいで「脳機能(言語化.会話能力)が衰えてしまった」せいである。 結果「

          孤独摩擦運動

          オナニーで筋肉痛になりました ありえるだろうか、こんなことが。 行為中、アドレナリンによって感覚が鈍るせいで、筋肉疲労が伝わっていなかったのだろうか。 だとしたらアドレナリン、君はスゴいよ。 君はスゴいが、僕はこんなマヌケな体験は別にしたくなかったかも。 しかし、孤独摩擦運動(オナニー)に耐えるにはアドレナリンは不可欠であるし、もしかしたら筋肉疲労を感じさせないレベルの分泌量でなければいけないのかもしれない。 うーん、ジレンマ。 「おぞましい」ものは実にエロい。

          孤独摩擦運動

          テスト

          1.テスト2.六3.ムツク

          キラリラリ

          幼少期、よく祖父にゲームセンターに連れて行ってもらっていた。 孫とはそんなに可愛い物なのかと、自分へ容易に金を献上する祖父を見て幼いながらに思っていた。 ゲームセンターは良い。 煌びやかな装飾、光、騒々しくも癖になるような環境音。 熱心にメダルで遊ぶ老人、熱心に景品を得んとする若者、熱心にカードを動かす子供...。 ちなみに私が好きだった景品は、クレーン車のような搔き手を操作をボタンで操作する機械によく大量に入っていた。 緑や黄色、色は様々で形も不規則形。 光を当て

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          「終わるはずの無いものでも、勝手に終わりを想像して一人で落ち込む癖」 例えば、ゲームなどで友情や愛情、幸せごとが起こったとする。 その時こそは素直に感動覚えたり、幸せな気分になるものだが、少しすると「それらは有限である」という思いがアタマをよぎる。 ネガティブな思考に陥る前に、ある事を思い出して気を紛らす。 全ての物事には終わりが存在する。 終わりがないことは本当に良い事なのか? 答えは違う。 終わりという期限がなければその物事は永遠と「当然のこと」という普遍的で低

          13:09→13:56

          ガタンゴトン ガタンゴトン ガタンゴトン ガタンゴトンガタンゴトンガタンゴトン...

          ふくれ

          言いたいことがありすぎて、考えが一つにまとまらない。 色々な奴を見て、色々な体験をして、色々な冒険をした。 その中で思う事や考えることは大量に発生し、結果として、どれを考えていてどれを書き起こそうとしたかが分からなくなってしまうのだ。 そのため、どれもこれも中途半端な文章ばかりで書いていて楽しく無くなってしまった。 いわゆるスランプということだ。 笑うな、スランプなのだ、俺がスランプと言ったらスランプなのだ。 あー、言いたいことがまとまらない。 ゴミ箱も紙屑で溢れて

          ムイミジン

          あ やあ どうも とつぜん すいません いつまで いきて いく の ムイミジン。 ありがとうムイミジン。 交信をせずとも交信し続ける。 ムイミジン、ああムイミジン。 ありがとうムイミジン。 ムイミジン。 ムイミジン。 キミがいなくては苦しい世界。 ありがとうムイミジン。 ムイミジンありがとう。 キミがなくてはムズイよ世界。 ムイミジン。 ムイミジン。 歩く橋になりたまえ。 ムイミジン。 長い縄になりたまえ。 ムイミジン。 鋭い刃になりたまえ。 ムイミジン。 高い金になり