好きに生きるということ
こんにちは、昨日ドイツに戻ってきました。
空港に着いたのに機内に1時間閉じ込められてやっと出られたと思ったら安定のドイチェバーン遅延に巻き込まれ他の路線に乗るもどれもこれも遅れていて、想定していた帰宅時間より3時間も遅く家に着きました。
他国から帰ってきたドイツの感想、「芋の匂いがすごい」です。
フィンランドのことも書きたいんですけどそれより書かなくちゃいけないことがあるので書かせてください、というかここは私の私による私だけのためのnoteなので何を書いても自由!
文句を言うなケチをつけるな。偉そうですみません。
読書をしていたら心がグラグラになったので、三年近く前に自分で書いた、それなりにいい感じに書けたと思っている短い物語を読み返そうと、古いモレスキンを取り出したらお友達からのお手紙が目に入って、そこには「好きに生きたらいい感じだよ」の文字があって、泣きそうになった。
他のお友達からも「好きにしなよ」「好きにするのが一番だよ」とよく言われてきたし、好きにする以外の生き方がどうしても苦しくて狭くて耐えられないから、私は好きにするしかないんだってわかっていても。でも。
もちろんもちろんもちろん、私は好きに生きるしかないし、好きに生きてなきゃ生きられないし、好きに生きてる自分の方がよっぽど好きだし楽だし、好きに生きなよと言ってくれる友達がいてありがたいんだけど。
好き放題せず普通に普通に、普通に生きられたらどれだけいいだろう、って。
普通に暮らせたら、な、って。
耳をすませばの雫。の、パパ。
雫には嫉妬しちゃう。
私は好きに生きるしかないんだなって知っているからこそその通りにやってみているつもりで、みんなこうすればいいのにって思っちゃうんだけど、「好きに生きる」がどんなものかわからない人も多いって最近知って驚いてもいる。
やりたいことなんて、積極的な好きでなくとも、やりたくないことから全力で逃げてとりあえずポテチ食べるとか、そういうやりたいことでいいと思うんだよね。
やりたいこととか好きなこととかのハードルを上げすぎだよみんな。
ニンテンドースイッチやってなよ。
でも、ちょっとの我慢で普通ぶって生きられるならとりあえずそうしてればいいのに、とも思う。
普通ってマジでマジでマジで尊いと思うんだよね。すごいもん、普通に振る舞える人って。
やっぱり世の中は普通に合わせて作られてるし、そこに適応して生きられたら楽というか得だと思う。
めちゃくちゃ偉そうに聞こえるかもしれないけど。
普通の世界で普通に生きるのが一番大きな恩恵を受けられると思う。
卑屈な選民思想。
だから無理して「やりたいこと」とか探すのはバカバカしいんじゃない?って。
偏差値56くらいの大学に指定校推薦で入ってサークルの先輩と付き合って七ヶ月で振られるのを二回繰り返してコーヒーショップでバイトして就活中に出会った同い年の男の子と付き合いだして卒論書き上げたらゼミメンバーでイタリアに卒業旅行してメガバンの特定職二年やってから籍入れて翌年に第一子を出産して、みたいな生活をどう足掻いても送れない私みたいな人間がどうしても生きるための手段だよ、「好きに生きる」って。
他人と一緒がいいに決まってるもん。しんどいもん。
ただ、ポテチ食べるとかのこれといって大きな達成感のあるわけじゃない「好きなこと」だけだと生きてるって実感が薄くなっちゃうのかな。
内側から楽しみも刺激も生み出せないならみんなオーロラみるといいよ、オーロラは寒いし痛いし天候は賭けだしコストかかるけど、いいものだよ。
喜びも楽しみも全て自分でまかなえ!とか思っちゃうけど、他者に提供してもらう楽しみもたまにはいいものですね。
ほんとは雪国に住んで狩猟して雪合戦してあったかいスープ飲んで寝る生活がしたい。
あーあ!春が来ちゃうね!一番無理な季節!
みんなそわそわしちゃって頑張るぞーみたいになってて気候は穏やかで雪が溶けて川になって流れていって花が咲いて、暴力的すぎるんだよ。
正しさの暴力は世界で一番強い。
毎年言ってるなこれ。
置いていかないでよみんな。忘れないでよみんな。
春になったからって、昨日までのこと、過去にしないでよ。