国立病院0〜措置入院前夜〜
またほぼ無料です。
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大学を卒業する直前、卒業できると決まった直後は進路がなくて不安だった
決まっていないとかじゃなくて、私には進路がなかった
どこに進めばいいかわからなくて、とりあえず免許合宿でも行こうかと友達と話した
場所は熊本とかどう?なんて言いつつ、結局4月に中部地方に行くことにして、先の予定を決めたら何だか働いてみてもいい気がした
新卒の求人はもう応募するには遅すぎると思って、リクナビNEXTとかアルバイトの求人とかを見ていた。
小さな小さなWeb制作の会社に面接に行くと、それほど緊張せず話ができ、数日して採用すると連絡をもらった
こんなトントン拍子でいいのか?とか、やっぱり働くの怖いとか、いろいろ思ったけれど、ゴールデンウィーク明けからとりあえずは働くことにした。
免許合宿から帰り、うだるような暑さに文句を言いつつ、自分で働いて生きてゆくことに少しは胸を躍らせた
半年くらい続けられたら、一人暮らしをしよう。父親にもそう話をした。
でも、それは叶わなかった
その会社の雰囲気は、まあ悪くはないけど小さなチームごとに色があって、女性はとっても排他的で、誰も話しかけてくれなかったし、構ってくれるなと言われているような圧を感じた
男性はそこそこ優しい人もいたけれど、何だかみんなイケイケ〜という感じだったり優しすぎたり、どう振る舞えばいいかわからなくて疲弊した
最初のうちなんてそんなもんなのかもしれないと思って、お昼にサンマルクへ行ったり本屋で気持ちを落ち着けたりした。
4日働いて、まだまだ誰とも打ち解けられないなあと悲しくなりつつ18時に退社した。
こんないい立地で働いてるんだから、と三越に寄ったら父の日フェアがやっていた
何かあげようかな、と思ったらとても苦しくなった。
その場を抜け出すことに必死で、銀座線に乗り込んだ
苦しくて辛くて重たくて、どうしようもない顔をして足元を見つめた
深い緑色のドクターマーチンを履いた、長いブロンドの男性が席を譲ってくれた
気を遣わせて申し訳なくなって、座席に腰掛けた瞬間から泣いた
人生三度目のジェルネイルを施した爪が目に入り、こんなものなんの救いにもならないと悔しくなった。
生きるよすがになるかと思って5000円も払ったのに、ばかみたいだ
乗り換えてもまだ苦しかった
いやさらに苦しみは増した
この電車に乗り続けたら家に着いてしまうから
家には母がいて、きっともう父もいて、テレビ番組を見ながら晩酌をしていて、私が帰ったら二人とも嬉しそうに、助かったというような顔をする。
彼らのよすがになんて、防波堤になんて、なりたくなかった
私は助かりたかった
電車の中、座りながらまた泣いてしまっていたけれど、誰もなにも反応しなかった
だから、一つ手前の駅で降りて、線路に飛び込もうと思った
助かりたかったから
荷物をベンチに置いて、飛び込もうとしたら怖くなった
でも、次こそはと急行に狙いを定め、ホームギリギリに立った。
電車とすれすれのところで誰かに止められた
泣いて、反対の線路に行こうとしたけれど、ちょうど各駅停車の電車がいた
身動きが取れなくなって、荷物を持った
駅員が走ってきた
誰が呼んだんだよ
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