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「Nostr大通り」はTwitterを代替するSNSになるのか?
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2月から右も左もわからないまま始めたNostrプロトコルの分散型SNS。
便宜上ここからはNostrと呼んでいく。
Nostrは「ノストル」とか「ノストラ」とか自由に呼べばいい。僕はノストラと呼んでいる。
あらためて分散型は何かと言えばTwitterのように中央にシステム・権力が集まっているのではなく、文字通り分散しているSNSである。
検閲耐性も強く個人情報の入力もいらない、行動ターゲティング広告もないし、オススメユーザーも表示されない、なかなか自由な場所だ。
そんなNostrはまるで大通りのような世界だ。
道行く人もいれば立ち止まって数人で雑談している人もいる。
文字と画像が羅列するSNSなのに、立体的なメタバース感すらしてくる大通りだ。
僕はTwitterと違って、ここでは道の端に座り込んでバナナをチクチクと彫っている。
完成したバナナアートを作っては並べ作っては並べている。
海外の人は意外と僕の作品で初めてバナナアートを知る人が多いようで、足をとめてくれる。
そして中にはチップを投げてくれる人もいる。そう、このNostrは簡単にウォレットと紐づけられるので暗号通過を少額から投げ銭できるのだ。
チップだけではなく、とても素敵な言葉も投げてくれる。
毎日、同じ場所に僕が座っていれば顔見知りも増えてくる。
「Good morning」「GM!」という具合に。
一か月ほどで「バナナの日本人」と認識されたので、そこからはバナナアート以外の投稿も増やすようにした。
そうすることでbotのようにバナナばかり投稿していた「バナナの人」が生活臭のする実在する生身の日本人だと思ってもらえるようになった。
この大通りでパフォーマンスを披露する感覚はTwitterでは一度も感じたことのない面白味だ。
両者タイムラインが流れるSNSなのに、“なぜか” 温度・湿度感がまるで違う。
nostrは見る人によって使用するアプリ・クライアントが違うので、統一感もなくまだまだ多方面で粗削りだし、弱点も多いと思う。でも個人的にはそんな粗削りは創世記感を醸し出して好みである。大袈裟だが、文化の起点に立ち会えているような気さえする。
このブログでも何度も言っているが、Twitter慣れしている多くの人はNostr通りに来ても「?」状態になると思う。
すでに様々なサービスが充実したTwitterストリートのほうが居心地良く感じてしまうだろう。すぐに踵を返して戻ってしまうかもしれない。
または他の整備された分散型SNSを選択するかもしれない。
僕も人に積極的に勧めてはいない。
でも心の中では、本当はみんなもっとNostr大通りにやってくればいいのにと思っている。
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分散型SNS|エンドケイプ公式BLOG (ameblo.jp)
その他、Nostr関連の記事はブログでも書いているので是非どうぞ。