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雑記:そこにいないからこそ思い出してもらえる


 我が家(実家)には「冬ボックス」なるものが置いてある。私宛に実家へ届いたものをまとめておくための丈夫なトートバッグだ。
 大抵は私が住所変更をさぼっていて依然実家に着く郵便物や(母校からの郵便等だ)、母の知人や親戚から頂いた私宛のものなどが入っている。

 あるとき、帰宅してみるとなぜか冬ボックスの中にはタリーズの紙袋があった。母に訊くと、どうも父が私のために何かを購入していたらしい。私は首を傾げた。
 われわれ父娘(おやこ)の仲は決して悪くないと思う。しかしそれは私に「お父さん気持ち悪い!」というような反発・反抗期がなかったからであり、それは父に私を「女性性を持つ子供・カワイイ娘」として眼差す気がなかったからであり、すなわちその仲の悪くなさの一方で私たちふたりの間に強い関心があったことはほとんどなかった。せいぜい私が就活の際に参考にさせて貰おうと彼の起業秘話の自分語りを無理やり引っ張り出させて頂いたことがあるくらいだ。Instagramの相互フォロワーで双方の趣味素行交友関係をざっくり把握しあっている母とは大違いである。
 当然、私は母について知るほど、父の好きなものを知らない。父も私の好きなものを多くは知らないだろう。出先の買い物ついでに「私の分」を用意してくれることはあるが、「私のためだけに」何かを構えてもらったことは、少なくとも日常生活の中では無かった。だから、誕生日でもない、私のためにわざわざ、父がタリーズで買い物をしたということが私にはとても疑問だったし、失礼な話だと思うが母にとってもとても疑問だったらしい。本当に失礼だと思う。

 開けてみると、そこから出てきたのはハリー・ポッターとタリーズがコラボして発売された、マグカップだった。当時、タリーズはハリー・ポッターコラボの真っ最中だったのだ。


 私は幼い頃から活字中毒だった。そんな小学三年生の私にハリー・ポッター全巻を与えてくれたのは両親だった。そこに添えられた「一巻は秘密の部屋だよ」という母親からの誤情報に幼い私は数ヶ月くらい翻弄されることになるのだがそれはともかく、私はそれ以来ずっとハリー・ポッターが好きである。
 ここ数年、タリーズでクリスマスの時期にハリー・ポッターとのコラボを行っているのも当然知っていて、その年は発売日初日に開店時間の異なるタリーズ3軒に開店凸を仕掛けて無事目当てのグッズを回収したりしていた。

 ハリー・ポッターの正確なストーリーラインも覚束無い父ですら気づく販促風潮のなかで、私が「ハリポタ×タリーズコラボ」を見逃すはずがないのだ。正直父の買ったマグと私の買い求めたグッズが被らなかったのは奇跡と言っていい。
 サプライズにする意味もないのだから、一言確認すればいいだけだ。それも確認せず、また私が気づいているかどうかすらも知らない状態で、ただ「お姉ちゃんはハリーポッター好きだったよな」という理由で目についたグッズ、よりによって一人暮らしにそう多く必要がなく嵩張るマグを適当に買ったのだ。同様のケースに遭ったときの母の反応と比べて考えても、いかに父が私に興味がないかが伺える。

 ただ、それでも。それほど興味のないことが伺えるプレゼントであっても、実家にいた頃は一度もそんなことはなかった。
 実家にいた時は私は父に養われていた訳だから、父は私へ恒常的にリソースを注いでいることになるし、あえて何かをしてやろうという気にもならないといえばそうなのかもしれない。ただ、たかがマグカップ一個の値段がそう大きく違うとは思えない。
 たぶん、私が実家にいた時は、父はハリーポッターのグッズを見ても何も思わなかったのだろう。私と父は、実家にいても大して会話をしなかった。私はそわそわする展開のバラエティやドラマが嫌いで、嫌いな番組がリビングで流れている時は夕食後も即座に部屋へ籠ってゲームなどするものすごく家族の団欒に非協力的なオタクだった。父は利己的なナードが嫌いだった。恐らく私のことも、自分の子である点を除けばあんまり好きではなかったと思う。何かをしてやろうという気になれないのも、まあ仕方ないと思う。


 だから、実家を出た後一番驚いたのは、そうした形で父と過去イチ友好的な関係を築けていることだ。実家から、目の届くところからいなくなったことで、不快な点が見えなくなって、むしろ目の届くところにいた頃より思い出してもらえるようになったのだ。
 奇妙なこともあるものだ。

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