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彼を倒すための速度

 僕がnoteを書いているのは、僕が未来でこれを読むためだ。

 いや、このnoteそのものは本当は「終末ボックス」なのだから本来は誰も読むべきでなく、ましてや自分の読むものなどであるべきではないのだが。活字中毒の自分が読むべき活字を失ったとき、自分の吐き出したものの中から好みの味のものを選んで啜るための飲み物。僕のその他のすべての文章が僕にとってそうであるように、結果的に、現状僕のnoteはそのようにして存在している。


 7/22、本を書き終えた。NEEDY GIRL OVERDOSEの攻略本だ。
 僕の4冊目の二次創作本である。

 僕はこのゲームに対して、かなり拗らせた感情をもっている。
 このゲームは、僕のいうところの「完全なオリジナル」でありながら、それでいていろいろな作品から影響を受けていて、それを堂々と引用・踏襲している。
 僕は創作において、一からものを考えることが何故か、非常に苦手だった。どうしても、なにかほかのものをベースにしないとえがくことができなかった。二次創作のように、「ベースの設定を知り、世界観を読み込んだうえで、『こういう掛け合いが見たい』『こういう描写が見たい』『ここの理由を知りたい』を想像して補完する」ようなことはできる。できていると思っている。だが、オリジナルとなると途端にぴくりともしない。本当にこれっぽっちも浮かばないのだ。
 そんなことがあって、オマージュなどをうまく使って新たな芸術として成立している芸術を見ると僕はものすごく嫉妬しまうし、ニディガはまさにその典型だった。

 だから、このnoteがTLにたまたま流れてきたときは、居ても立っても居られなかった。ああ、彼を倒したい。僕の年齢のときにはすでに彼はこのゲームを企画していたのか、と思うとどうしても今すぐ僕も何かドでかいものをかましてやらねば! という気持ちになる。

 ただ。僕は物書きにも、フリーランスにも、なるつもりがなかった。
 僕の文章の一番の読者は、いつも未来の自分だ。
 未来の自分以外の相手に、知ってほしいことがなにもない。何かを表現する熱意が、あまりにもない。当然、承認欲求など満たされようもない。
 フリーランスは安定してないとか、金に困るとか、そういう次元ですらない。学生期を抜けてしまった今、日中の活動としては仕事をするくらいしか妥当な選択肢がない中で、「物書きになる」はあまりにも、時間に対して承認欲求の充足効率が悪すぎるのだ。


 とはいえ、彼の表現した字数ベースの試算はかなりいいな、と思った。
 誰かに見られることを目的とせず、淡々と日記を残す人間の速度が、だれもが注目する人気コンテンツの創造主の速度すら抜いていたとしたら。
 ああ。だいぶ狂っていて面白いな。
 ……もっとも、そんなことは4年も前から気付いていたことではあるんだけど。

 でも最近は、こういうことが増えてきた。つまり、何かの概念について自分の言いたいことを示そうとするとき、過去の自分がすでにそれを述べているということだ。これはいい兆候だ。
 毎日それだけのスピードで何かを積み上げていけばいずれは、何か自分が示したい物語が、事柄があるとき、すでに作り上げた自分の言葉の概念のパッチワークを作るだけでそれが表現できて、新たな芸術になるかもしれない。
 もちろん結果だけに期待をして行動を起こすなんてのは好きでもないのに恋人を作るくらい愚かなことではあるけれど、それくらいのモチベーションはあってもいいのかもしれない。どうせ三日坊主だろうしね。ずっと続けられるとも思わないけど、まずは三日坊主1セットを繰り返す方向でお願いします。



 NEEDY GIRL OVERDOSEの攻略本を作るにあたって、4人の推しクリエイターを巻き込んだのは、せめてもの抵抗でした。
 僕の都合に巻き込んでしまってすみません。でも嘘でも誇張でも何でもなく、理由や方向性は違えど、あなた達のおかげで僕の創作者としての今があります。本当にありがとうございました。

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