散文「アッシャー家の謎と研究家の謎解き」
『アッシャー家の崩壊』はミステリーの要素を含んでいる。
ミステリー小説(以前は犯罪小説と呼ばれていたらしい)の起源はEdgar Allan Poeのデュパンもの三部作の一作目『モルグ街の殺人』であり、世界初の名探偵はオーギュスト・デュパンであることは有名な話である。(因みに『アッシャー家の崩壊』は1939年発表、『モルグ街の殺人』は1941年発表である)
故に、ミステリーはホラーから派生した小説のジャンルであるが、今回読んできた『アッシャー家の崩壊』にもミステリー的な要素が含まれているのではないかと考えた。
表面的に読んでいると、この物語には謎というものがほとんど内在しないけれど、研究家たちが読み解いていくに連れて、謎が現れてくる。「語り手とロデリック・アッシャーが同一人物なのではないか?」という謎が現れてくるのである。つまり私は研究家の分析行為はこの作品全体に対する探偵行為なのではないかと考えたのである。
(P.61:9~18)While the object around me―while the carvings of the ceilings, the somber tapestries of the walls, the ebon blackness of the floors, and the phantasmagoric, armorial trophies which rattled as I strode, were but matters to which, or to such as which, I had been accustomed from my infancy―while I hesitated not to acknowledge how familiar was all this―I still wonders to find how unfamiliar were the fancies which ordinary images were stirring up.(わたしを取りまくもの──天井の彫刻、壁のくすんだつづれ織り、黒壇のように黒い床、あるいはわたしの歩むにつれ、カタカタ音を立てる幻のような紋章入りの戦利品など……それらはすべて、幼い時分から見なれているか、それに類したものにすぎず―どれほど見なれたものばかりであるかはすぐに分かったが―それでもなお、こうして何の変哲もない物の姿がかき立てる不気味な幻想を、わたしは怪しまずにはいられなかった。)
この文で語り手はアッシャー家の家具調度品に幼い時分から見覚えがある、ということを語っている。このことは先生の講義の通り、語り手とロデリックが同一人物であるという内面構造についてのことが記述されている。
(P.67:14~16)I shall ever bear about me a memory of the many solemn hours I thus spent alone with the master of the House of Usher.(こうして、アッシャー家の主人と二人きりで過ごした多くの厳粛な時間の思い出を、わたしはいつまでも忘れることはあるまい。)
こちらの文では太字で記したaloneに注目してもらいたい。何故、二人で過ごすという記述の文であるのにaloneなのか? 私は漠然とではあるが、これには三つの意味があるのではないかと考えた。一つ目は先生が講義の中で説明したshallは意志を含む未来形であり、この意志は語り手のものであるから。二つ目は先程から書いているように語り手とロデリックが同一人物であるということを伝えるためではないか。そして、三つ目。『アッシャー家の崩壊』のラストは語り手一人を残してアッシャーの屋敷ごと全てが飲み込まれてしまう。このラストの崩壊を暗示する意味なのではないかと考えた。
こうした文中におけるさりげない言葉に物語の本質である<語り手とロデリックは同一人物である>ということが描写されている。
そういった物語の謎を解くためのヒントを読者に与えているのは、ホラー作家であり、ミステリー作家(犯罪小説家)たるポオの巧みな技法の素晴らしいところである。このことは、表面的に読む一読者に対しても大層面白いものであるし、研究家たちに対しては更に今で言うミステリー要素を与えるという、いわゆる二重構造になっているという点は、全く感服すべきところである。そして何より、私が記したこの事実は実際に英文で読み解いていかないと全く分からないことであった。
初出
2009年頃の大学のレポート。