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散文「文化人類学試験のためのキリスト教」
私が幼い頃より触れてきたのは民俗宗教ではなく、バプテスト派のキリスト教でしたので、それについて記します。
キリスト教の他界観は、端的に言ってしまえば天国か地獄です。地獄に堕ちる者は、罪人であったり、生前苦しんでいる者を顧みずに、自分だけがいい思いをしていたりした者が行きます。ですが、実を言えば、地獄については、教会でもあまり語られることがありません(私は悪魔が地獄から来るのかどうかも知りません)。ですから、地獄に関しては無知です。天国は「ラクダが針の穴を通るよりも天国に行くほうが難しい」と言われています。また、今の世界(生きている世界)で幸いなものは死後の世界では災いなもので、今の世界で災いなものは死後の世界では幸いと考えられています。これは功徳を積むように、との考えにも合致します。私が知るのはこのくらいのことで理解できていない部分も多いのです。しかし、天国を死後のよき世界に位置づけていることは確かです。そのために、バプテスト派のキリスト教においては、生霊・死霊という考えは入り込む余地がありません。死ねば、天国か地獄かに行くわけですから、霊となってさまようという考えは生まれてきません。むしろ、霊は聖霊という形で現れます。この聖霊は人間の内から起こるものではありません。人間が変化したものではないのです。
祭りについて、代表的なのはクリスマスです。他に祭礼は誕生祭であるイースターやペンテコステなどがあります。世間ではクリスマスには目に見える形での贈り物とサンタクロースの存在が欠かせません。しかし、教会においては目に見えない祝福を頂き、その祝福とは主イエスキリストの誕生に他なりません。ここにマツリ(イベント的)と祭り(神事)の決定的な違いが見られます。
ところが、教会においても子供たちに渡すプレゼントは用意します。その上、そのプレゼントを渡すのはサンタクロースである場合すらあります。神事と風流を掛け合せた祭礼、とまではいきませんが、そういった曖昧な境界も存在しています。
私の通っている教会は、いま主任牧師が不在の状態であり、副牧師と信徒代表とが交互に説教(宣教)を行なっています。これは当教会に限ってですが伝統を変化させている行為です。どうしても民俗宗教とは様相が違う部分があり、ずれてしまう部分もあるのですが、バプテスト派のキリスト教に民俗宗教の考えを当てはめてみるとこのようになります。
初出:
2008~2011年頃、大学時代のレポート。