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散文「宮澤賢治「グスコーブドリの伝記」」
「汽車はいくつもの沼ばたけをどんどんどんどんうしろへ送りながら、もう一散に走りました。その向こうには、たくさんの黒い森が、次から次と形を変えて、やっぱりうしろのほうへ残されて行くのでした」
この疾走感は心地よい。都市の乗り物は、沼ばたけをまるで隅に追いやるような速さでイーハトーブへと走る。なぜ、沼ばたけはうしろへ送られなければならなかったのか? 推測に過ぎないが、これは都会の影響による公害を無視するようなイーハトーブという市の罪の隠蔽なのではないだろうか。沼ばたけをうしろへ送り、まるでなかったもののようにすることへの批判を宮澤賢治はしたのではないだろうか。また、黒い森。黒。私はこの黒い森という表現を見たとき、影絵の情景が浮かんだ。黒い森とはやはり駄目になってしまったブドリの故郷の森のことで、その森を都会はうしろへ、日陰へ追いやってしまうのではないだろうか。
そのようなうしろを顧みない速さで駆ける汽車すらもブドリが感じているこれからの未来への思いに比べれば、「汽車さえまどろっこしくてたまらないくらい」だったのだから驚きだ。しかし、これはただ都会に憧れているだけではなく、ブドリは「クーボーという人に会い、できるなら、働きながら勉強して、みんながあんなにつらい思いをしないで沼ばたけを作れるよう、また火山の灰だのひでりだの寒さだのを除くくふうをしたいと」思っている。都会に向かいながらも原点回帰していくことを予期させるこの場面は面白い。またイーハトーブへ汽車に乗って向かうブドリは未知の場所へ旅立つ一人の使命を負った少年なのである。
※温暖化対策について
台風エネルギーを使うのならば、私がまず思い浮かぶのは風力発電であるが、現在の風力発電所の七十五%は海外製であり、保安院が「日本型風力発電所」の開発をしていたり、沖縄電力も台風対策の発電所つくりに尽力している様子。
また、寺尾裕氏の「台風エネルギーを利用する発電船の基礎的研究」を完全に理解しないまでも、要点を読んだ。帆船に発電水車(プロペラ)を組み合わせた発電船構想である。この構想でも、台風の全エネルギーを吸収することはできず、一個の台風から数パーセントのエネルギーを削り取るように抽出し、それを発生個数分繰り返すことにより、地球環境の変化を最小限に抑えるという試案にまで至っている。アメリカの研究の例を見れば、ハリケーンのいくらかの制御は可能らしい。ならば、日本の台風対策も今後、現れるだろう。
相当、古い記事になってしまうが、寺田寅彦も「台風雑粗」(昭和十年二月、思想)で「台風のような複雑な現象の研究にはなおさら事実の観測が基礎にならなければならない。それには台風の事実を捕える観測網をできるだけ広く密に張り渡すのが第一着の仕事である」とし、国防のための軍艦飛行機を造るのと同等にこの仕事が大事であると記している。
基礎を見直すことが重要であるようだ。
温暖化対策で気遣っているのは、小さいことながらマイ箸を持つことである。しかし、最近ではそのマイ箸の出番も少なくなっている。大東文化大学の学食のほとんどが割り箸を使用しなくなり、学食の常時置かれている箸を使用しているためである。
また、理想として掲げたいアイデアは「電車内・七月からの冷房」である。近年の電車は少しでも暑ければ、下手をすれば五月に冷房をかけていることがある。窓を開ければ済むものをそうしないのだ。冷房をかけるのは七月からにして、エアコン使用量を減らしていこうという考えである。また、ラッシュ時の温度と人の少ない時間帯の温度が一緒の車輌がある場合がある。そういった考えを電車会社に持っていただきたい。
初出
2008年頃、大学の「日本文学概説2」のレポート。