見出し画像

レポート・田山花袋『田舎教師』について

※ 学生時代に書いたレポートのデータが出てきたので、公開。

○研究目的
 田山花袋作『田舎教師』には多くの食事の場面が描かれる。とくに本文でも「甘いものと、音楽と、絵の写生とのこの三つが僕のさびしい生活の慰藉だ」または「菓子を満足に食えぬのが中でも一番辛かった」とあるように、実際、甘いものを間食する場面は殊更に多い。(※ 清三が関心を寄せたのはこの三つだけではない。文学、甘いもの、音楽、写生、女、植物である)
このレポートでは登場人物たちの食事に視点を当てつつ、物語の流れを追っていく。

○食事
 本文より食事に関する記述を抽出しつつ、その前後の出来事を記す。その中でも、注目すべき場面には意見を加えていく。
三章「点心には大きな塩煎餅が五六枚盆に載せて出された」
 校長の家で出された茶請け。
五章「母親は古い茶箪司から茶の入った罐と急須とを取った。茶は粉になっていた。火鉢の抽斗の紙袋には塩煎餅が二枚しか残っていなかった」
 自宅での茶の場面。三章とで塩煎餅の枚数を比較できるという推測は浅はかだろうか。
「父親の茶漬けを掻込む音がさらさらと聞こえた。清三は沢庵をガリガリ食った」
 自宅での夕食。親友である郁治の母親と妹の雪子が訪問してくる。
十一章「主客の間には陶器の手炉が二箇置かれて、菓子器には金平糖が入れられてあった」
 成願寺の主僧との茶の場面。この邂逅により、清三は成願寺への下宿を望むようになる。
十二章「母親は自分で出懸けて清三の好きな田舎饅頭を買って来て茶を入れてくれた」
 半月分の月給が初めて入った週の土曜日。自分で稼いだ金を母親に渡して、清三はこの土曜日を愉快に過ごした。
「茶の時には蜜柑と五目飯の生薑とが一座の目を鮮かにした」
 美穂子の家で歌留多牌をする。
「茶を入れて貰ってまた一時間位話した」
 清三宅で郁治と会話。
「清三は慌てて茶漬を掻込んで出懸けた」
 郁治と会話した翌日の朝食。寝過して了い、学校に遅れる。
十三章「暑い木陰のない路を歩いて来て、此処で汗になった詰襟の小倉の夏服を脱いで、瓜を食った時の旨かったことを清三は覚えている」
「奥の一間は瀟洒とした小庭に向って、楓の若葉は人の顔を青く見せた。ざるに生玉子、銚子を一本つけさせて、三人はさも楽しそうに飲食した」
 清三と小畑と桜井とで町の蕎麦屋に入った場面。
十四章「其処に餅菓子が竹の皮に入ったまま出してあった」
 荻生君の土産。清三は三箇をむしゃむしゃと食った。
「その日の晩餐は寺で調理してくれた」
 餅菓子を食ったその晩。里芋と筍の煮付、汁には、長けたウドが入れられ、ビイルを二本奢ってもらう。清三・荻生・主僧で食す。このとき、大島弧月の訃報が届く。
「弁当は朝に晩に、馬車継立所の傍の米ずしという小さな飲食店から赤いメリンスの帯を締めた一三四の娘が運んで来た」
十五章「酒はやがて始まった」
 清三・原杏花・相原健二・郁治・主僧とで食事。「行田文学」の初号が発行されたときのことである。
「若い人達は伴立って町に出懸けた。懐に金はないが、月末勘定の米ずしに行けば、酒の一本二本はいつも飲むことは出来た」
 なまりぶしの堅い煮付で飲み食いする。
「若い二人はよく菓子を買って来て、茶を煎れて飲んだ」
 清三と荻生を指す。互いに金のあるときに勘定の出し合いをし、二人ともない時は主僧に借りてまで食うほどであった。くず餅、あんころ、すあまなど。
「小川屋から例の娘が弁当を拵えて持って来る。食事がすむと、親子は友達のように睦まじく話した」
 父親が宿直室に来る場面。金を借りられて行くことなどがある。
「一風呂入って、汗を流して来る頃には、午飯の支度がもう出来ていた」
 一日遊べる湯屋が出来たという話から、教師陣で湯屋へ行く場面。ブッカキを入れた麦酒を飲む。これらの先生が繰り出す話題と、友人達の話題を引き比べて、清三は大きな溝を考える。そして、「まごまごしていれば、自分もこうなって了うんだ!」と感じ、そのことが清三を悩ませる。
十六章「今少し前、郵便局に寄って、荻生君に借りた五十銭を返し、途中で買って来たくず餅を出して、二人で茶を飲み飲み楽しそうに食った」
 菓子に関しては、荻生とともに食すのが多そうである。この頃はまだ、借金せずに金を返している。
十七章「麦湯は氷のように冷えていた。郁治も清三も二三杯お代りをして飲んだ」
 郁治宅で杯を交わす。美穂子が麦湯を持って来る。
「和尚さんは庫裏の六畳の長火鉢のある処で酒を飲んでいたが、常に似ず元気で、「まア一杯お遣んなさい」と杯をさして、冷やっこを別に皿を分けて取ってくれた」
 この後、和尚から種々の詩集や小説を借りる清三。「地震」「うき世の波」「悪因縁」「むさし野」「忘れ得ぬ人々」。
十九章「清三は上さんから貰った萩の餅に腹をふくらし、涼しい風に吹かれながら午睡をした」
 この章に清三の日記が記されている。
二十一章「荻生さんはいつも遣って来た。一緒に町に出て、しるこを食うことなどもあった」
 この場面で、荻生は清三が常に沈みがちであるのを心配する様子が描かれている。
二十二章(小畑から来た手紙の二)「又例の蕎麦屋でビールでも飲んで語らうぢやないか」
二十三章「餅菓子と煎餅とが菊の花瓶の間に並べられる」「小川屋に行って、ビールでも飲もうという話は誰からともなく出た」
 天長節に学校で式があった日のこと。
「「君は僕の留守に掃除はしてくれる、ご馳走は買って置いてくれる。障子は張り替えてくれる。まるで僕の細君みたようだね」」
 清三が荻生の様子を見て言った一言。
「学校の宿直室に先生の泊まっているのを知って、あんころ餅を重箱に一杯盛って来てくれるものもあれば、鶏を一羽料理して持って来てくれるものもある。寺では夷講に新蕎麦を上さんが手ずから打って、酒を一本つけてくれた」
 人当たりのよさから清三が信頼されていることが伺える。
「茶請は塩煎餅か法事で貰ったアンビ餅で、文壇のことやその頃の作者気質や雑誌記者の話などがいつもきまって出たが、ある夜、ふと話が旅行のことに移って行った」
 和尚との寺での日常が描かれる。
二十五章「その返事をかれはその夜とある料理屋で酒を飲みながら清三に示した」
 郁治と美穂子の「新しき発展」に就いて、語られる。
「午後にはどうかすると町に行って餅菓子を買って来て茶を入れてくれることなどもある」
「のし餅を三枚、ゴマメを一袋、鮭を五切、それに明日の煮染にする里芋を五合ほど風呂敷に包んで、重い重いと言って、やがて帰って来た」「豆腐汁に鮭、ゴマメは生で二疋ズツお膳につけた」
 三十四年十二月三十日、自宅で年末を迎える。清三が勘定の取れぬ父に代わって金を出した。
二十六章「自炊が懶いので、弁当を其処此処で取って食った。駄菓子などで午餐を済して置くことなどもある」
 これは胃弱の要因となったか。
「清三は自分で出懸けて菓子を買って来て二人で食った」
 荻生さんと食う。この際、清三は荻生に三枚の水彩画を見せる。また、オルガンなども弾いて見せている。
「帰る時、母親は昨日から丹精して煮てあった鮒のかんろ煮を折に入れて持たせてよこした」
「羽生の和尚さんと酒を飲んで、「どうです、一つ社会を風靡するようなことを遣ろうじゃありませんか。何でも好いですから」」
 清三は一年後、これと同じことを言う。また、この頃、「行田文学」も廃刊する。文学の友が去り、文学よりも写生と音楽に傾倒するようになる。文学への情熱を喪失しかけている清三が見て取れる。
二十八章「砂糖を余り使い過ぎたので、分けて遣った小使は「林さんの甘露煮は菓子を食うようだア」と言った。生徒は時々萩の餅やアンビ餅などを持って来てくれる。もろこしと糯米の粉で製したという餡餅などをも持って来てくれる」
 校長が鮒を安く買い、それを甘露煮にする。宿直室に移り住んだ清三の食事情が伺える。
二十九章「和尚さんはビールなどを出してチヤホヤした」
「荻生さんは依然として元の荻生さんで、町の菓子屋から餅菓子を買って来て御馳走した」
三十一章「清三はその日大越の老訓導の家に遊びに行って、ビールのご馳走になった」
「ふと路傍に汚い飲食店があるのを発見して、ビールを一本傾けて、饂飩の盛を三杯食った」
「かれは唯酒を飲んだ」
 前章において、清三が田舎町の女にからかわれる様子が描かれる。この章において清三は初めて女遊びをする。女に没頭する清三はどんどん借金をかさませることになる。
三十二章「かれはラムネに梨子を二箇ほど手ずから皮をむいて食って、さて花茣蓙の敷いてある樹の陰の縁台を借りて仰向けに寝た」
 寝ている間に金を盗まれる。
三十三章「菓子を満足に食えぬのが中でも一番辛かった。(中略)止むなくかれは南京豆を一銭二銭と買って食ったり、近所の同僚の処を訪問して菓子の御馳走になったりした。後には菓子屋の婆を説附けて、月末払いにして借りて来た」
 菓子が食えなくなったのは、遊郭通いに熱心になっているからである。また、女の室で「響りんりん」などを歌うのだが、これは文学というよりも音楽の方に趣を向けているように感じられる。オルガンについての話題とともに語られるためだ。
三十五章「林さん元は金持っていた方だが、この頃じゃねっからお菜も買いやしねえ。いつも漬物で茶をかけて飯をすまして了うし、肉など何日にも煮て食ったためしがねえ」」
 これは清三の小使の発言である。また、
「同僚の関さんや羽生の荻生さんなどが訪ねて来ても、以前のようにビールも出さなかった」
 といったことも書かれている。ここから、清三が食事を二の次にして、女遊びを第一としていることが分かる。
三十六章「清三は黙って酒を飲んだ」
「麦倉の茶店では、茶を飲みながら」
「清三は出してくれたビールをグングンと呷って飲んだ」
 ビールの飲んだのは老訓導の家である。ここで、清三は「何か一つ大きなことでも為たいもんですなア――何でも好いから、世の中を吃驚させるようなことを」と一年前と同じようなことを言い(二十六章)、さびしい気持ちになる。
三十七章「清三はざるを二杯、天ぷらを一杯食って、ビールを一本飲んだ」
 音楽学校の試験にて、恥をかいて来た後の行動である。清三は試験で試験管から笑を買い、田舎者としてのレッテルを貼られた。
三十八章「え、相変わらず甘いものばかり食っているんですから。甘いものと、音楽と、絵の写生とのこの三つが僕のさびしい生活の慰藉だなどと前から言っていましたが、この頃じゃ――この夏の試験に失敗してからは、集めた譜は押入れの奥に入れて了って、唱歌の時間きりオルガンも鳴らさなくなりましたから」
 この章は荻生と和尚の会話から成り立つ。清三の現在が客観的に記される。ここで清三が音楽の情熱すら消えかけたことが分かる。
三十九章「酒屋に三円、菓子屋に三円、荒物屋に五円、前からそのままにしてある米屋に三円、その他同僚から一円二円と借りたものも尠くなかった」
 清三の借金について。このほか、荻生から四円、和尚から二円借りている。そして、「金の価値の尊い田舎では、何よりも先にこれから信用が崩れて行った」のである。
四十一章「親子は三人楽しそうに並んで雑煮を祝った」
 信用が崩れていったのと相反させるように四十章では清三の態度が真面目になる。しかし、信用の崩落と並ばせるかのように、清三の体調は悪くなっていく。急に態度は真面目になったが、急に体調は悪くなっていく。この急激の変化は梶井基次郎の「檸檬」にも似ている(酒を飲んだあとに宿酔があるように、酒を毎日飲んでいると宿酔に相当した時期がやって来る)。
 清三の態度が真面目になるにつれて、交流を立っていた友情が復活したり、精神が病により薄弱になり、情に脆くなったりする。
四十三章「「例の胃腸です――余り甘いものを食い過ぎるものだから」」
 清三の自嘲。元教え子の田原とし子が訪問する場面で。
四十四章「正月の餅と饂飩とに胃腸を壊すのを恐れたが、しかしたいしたこともなくてすぎた」
「しかし、煙草と菓子とを止めるは容易ではなかった。気分が好かったり胃が好かったりすると、机の周囲に餅菓子のからの竹皮や、日の出の袋などが転がった」
四十五章「夕飯は小川屋に行って食った」
 清三・荻生・小畑で食う。小畑は清三の活気が著しく失われていくのを見た。
「硬い田舎の豚肉も二人を淡く酔わせるには充分であった」
 清三と小畑である。
「御馳走にはいり鳥と鶏肉の汁と豚鍋と鹿子持ち」
四十六章「菓子は好物のうぐいす餅、菜は独活にみつばにくわい、漬物は京菜の新漬、生徒は草餅や牡丹餅をよく持って来てくれた」
 ここでも、菓子を食ってしまっている。
五十章「荻生さんは買って来た大福餅と竹の皮包から出して頬張る」「母親は襷がけになって、勝手道具を片附けていたが、其処に清三が外から来て、呼吸を切らして水を飲んだ」「父親は長火鉢の前で茶を飲みながら言った。車力は庭の縁側に並んで、振舞われた蕎麦をツルツルと啜った」
 清三の家族が揃って羽生に移転する場面。清三は少し手伝うだけで、苦しそうになる。荻生は手伝いに来てくれている。
「大福餅を二人して食った」
 移転を終えて後に大福を食う。その翌日、嬉しそうにしている荻生を見て、清三は荻生の平凡という偉大さを知る。
「前の足袋屋から天ぷら、大家から川魚の塩焼を引越の祝いとして重箱に入れて貰った」
五十二章「毎日牛乳二合、鶏卵を五箇、その他肉類をも食った」
 胃腸のよろしくない清三が摂った滋養品の数々。そんなだから、清三の財布はいつでも空であった。
五十三章「こういう人達は、氷店を寄ったり、瓜棚の前で庖丁で皮を剥いて貰って立ち食いをしたり、よせ切の集った呉服屋の前に長い間立ってあれのこれのといじくり廻したりした」
 八坂神社の祭礼に訪れた人々の描写。前章の滋養品に比べて、水物を好きなように食べている人々が描かれている。
五十五章「旅順陥落の賭に負けたからとて、校長は鶏卵を十五個くれたが、それは実は病気見舞のつもりであったらしい」
 田舎らしい人情味溢れる校長の姿が描かれている。
五十六章「滋養物を取らなければならぬので、銭も無いのに、いろいろなものを買って食った」
 鯉、鮒、鰻、牛肉、鶏肉、ごいさぎ、泥鰌などを食う。清三は郁治に職の転任運動を頼み、泥鰌の残っているものを御馳走した。
「朝の膳には味噌汁に鶏卵が落としてあった。清三は牛乳一合にパンを少し食った」
 郁治を一泊させた翌日。この朝に郁治はやつれた清三を初めて意識する。
「また父親と縁側に東京仕入の瓜を二つ三つ桶に浮かせて、皮を厚く剥いて二人して旨そうに食っていることもある」
 医者からは葡萄酒を飲用することを勧められている。
五十七章「夕飯は粥にして貰って久し振りでさいの煮附を取って食った」
五十八章「梨を持って来るものもあれば林檎を持って来るものもある。中には五十銭銀貨を一つ包んで来るものもあった」
 見舞品。清三と母は相変わらず具合が悪い。
六十章「寺の和尚さんが鶏卵の折を持って見舞に来た」
六十三章「荻生さんは菓子の竹皮包を懐に入れてよく昼寝に此処に来た頃のことを思い出して、こう心の中に言った」
 最後の最後に書かれている清三の食の思い出は荻生さんであった。

○まとめ
 こうして見ると、ほとんどの章に食に関することが書き出されている。そして、菓子を食うのは酒や食事をする場面と同じくらい表出される。
菓子を食う場面の多くには本編通して情に厚く、まるで清三の細君のごとく働いた荻生が現れる。荻生は常に平凡で、何かに関心を向け続け野心を持っていた清三とは対極をなすような人物である。しかし、彼の献身は最後の最後に清三に平凡の素晴らしさを気づかせるほどであった(五十章)。また、冒頭に挙げた清三が関心を寄せる六つの物事のうち、最後まで興味を削がなかったのは菓子・甘いものであった。胃を弱くしてからは滋養品を食うようになるが、それでも彼は時々、菓子を食っていた。
そのことから『田舎教師』と菓子の関係は切っても切れない。そして、主人公の清三と菓子をともに食った荻生の存在意義は大きい。荻生とは平凡に生きる象徴に他ならない。
この『田舎教師』には音楽の知識、文学の知識、青年の野心を研究対象ともできる。しかし、それとともに色々なものを食すことは生きることに他ならなく必要な要素であり、平凡は偉大である、ということをも教えてくれる。
今回、小林秀三青年の日記に当たらなかったので、彼の日記に食のことが書いてあったのか、そのことについては調べていない。今後の課題としたい。

いいなと思ったら応援しよう!