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vol 18長命の馬鹿と短命の賢者

僕は幼少期から交流が広いタイプだった。勉強のできる賢いタイプとも、シャーペンなんて握らない馬鹿なタイプとも仲が良かった。

当時小中学校では、馬鹿なタイプは要領もよくなく、どこかいつも損をしている。テストでは当たり前のようにカンニングし、きちんとばれる。賢いタイプは勉強し、要領を覚え、テストの点数も良い。

28歳になり、改めて今の友人を見ると、賢いタイプほど心が折れて、仕事ができなくなっていたりする。真面目過ぎるんだと思う。自分ができない理由を捜し、これまでぶつかった事のない壁が出てくると、頭を抱える。そして心を病んでいく。

でも、馬鹿なタイプはそうじゃない。自分の思考を他人に預ける術を持っている。わからない時、わからないと良い意味で諦めて、相手に思考を委ねる余裕がある。だから最後の最後まで、心が折れるギリギリまでいかない。だからこそ、賢いタイプにはできない生き方ができる。僕の周りの馬鹿なタイプは子供を2人以上いて、お金はないが、実に楽しそうな人間が多い。

でも賢いやつは違う。何か問題があると、自分で考えないといけないと思ってる。不思議なことに、日本は考える力が身につくようや教育課程じゃないけど、社会に出ると考えることを求められる。まるで考えて生きてきたかのような精神に仕上がりつつ、考える能力はない。考えられないのに、考えちゃう。そして、考えることができない自分が嫌いになる。そうやって、心を病んでいく。それはほんまに突然、大きなきっかけがある訳でもないが、ポキっと折れる。

人に自分の思考を預ける、その上でいかに生きるか考える。その余裕がある者は賢い馬鹿であり、ない者は馬鹿な賢者。この馬鹿な賢者が最も生きづらいのかもしれない。周りの友人を見ると、そう思わされる。

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