昨夜のカレー明日のパン
「昨夜のカレー明日のパン」
脚本:木皿泉
「みんな前へ進めっていうけど
どどまるのって そんなに
だめなことなのかな
まだ前へなんていきたくないのさ」
秋になって金木犀が香る頃に見たくなるドラマがある。
脚本家の木皿泉が書いた小説が原作のドラマ
「昨夜のカレー明日のパン」だ。
毎週日曜日の夜にはいそいそとテレビの前で始まりを待った。
夫が亡くなったあとも夫の父親(義父)と一緒に暮らしつづけるテツコさん。
彼女は夫の父親を「ギフ」と呼ぶ。
けれど「義父」の持つ堅苦しさはちっともない。
へんてこでおかしな二人きりの家族。
二人を囲む人たちもちょっぴり変わっている。
笑えなくなったスチュワーデス、顔面麻痺がなおらない産婦人科医、正座ができなくなったお寺の住職、女詐欺師、誰も信じることができない独身の歯科医、お互いに大切な人をなくしたテツコさんとギフ。
登場人物みんなが「世界」という枠の線の上ギリギリで、膝を小さくおりたたんで体育座りをするように、それぞれの悲しみや苦しみをぎゅうっと抱きかかえている。
テツコさんがひとりごとみたいにつぶやく。
「みんな前に進めっていうけど、
とどまるのってそんなに
だめなことなのかな。
まだ前へなんて行きたくないのさ。」
できるだけ長く味わっていたいんだなって思った。
なくしたものや人を。なくした世界を。
喜びと同じように悲しみも、そのものや人がいたっていういとおしいひっかき傷だからだ。
前向きも後ろ向きも、生も死も、時には幽霊だって、ぜんぶがぜんぶ、このドラマの中にはある。
いつもはみないようにしている日々の影にあるものたちを、これでもかと目の前に差し出してくる。
登場人物の悲喜こもごもにドボドボとなみだを落としたあとは、いつも穏やかな眠りについた。
今年の金木犀ももうすぐ終わり。
この間まで星屑のごとく咲いていた花は、
道の両脇でおいしそうなそぼろみたいなオレンジ色を地面に敷き詰めている。
「次の季節がやってくる」
そう心から思えたとき、テツコさんは一歩前へ進むのだった。
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