草っ原

夫婦でパン屋を営み、夫と娘、2匹の猫たちと暮らしています。 感じたり思ったりしたこと、…

草っ原

夫婦でパン屋を営み、夫と娘、2匹の猫たちと暮らしています。 感じたり思ったりしたこと、小さなことまで 全部が大事です。

最近の記事

今日の日はさようなら。

娘を産んで早一年と9ヶ月になる。 子供を産まなければわからなかったであろう小さいけれど確かなことがたくさん起こる月日だった。 毎日のルーティンが変わったのもそのうちのひとつで、以前の私にとって朝の時間は、身支度をして朝食を食べて仕事に行くという大多数の人がやっているルーティンと変わらないものだった。 けれど娘を産んでから、一分一秒はとてつもなく尊く、秒分単位で刻まれる時間をどう使おうか、赤子が起きるまでにある程度身支度は終わらせたいと、必死な形相で身体を動かしている。 ここま

    • つるつる剥けるかな。

      私が娘を産んだのは、私が41歳の時。 その数ヶ月後には42歳の誕生日を迎えた。 世間的にもれっきとした高齢母だし、否が応でも自覚せざるを得ないほど、子育てには若さと体力が必要だと感じでいる。 不妊治療もしていたし、大量のホルモン剤も飲んだ。赤ちゃんを授かれるかすらわからず、不安だらけで神頼みをしていたあの頃を思えば、今は自分で自分の時間を自由にできないもどかしさはあるものの、子育てというものを、その大変さも含めて堪能している方だと思っている。 最近お店に知り合いのRちゃん

      • Every version of you

        アメリカのドラマ「This is us」が好きで好きでたまらない。 それは取り留めのない家族の物語。 大冒険も大脱走も宇宙人も魔法使いもでてこない。ささやかな日常を描いただけのドラマだけど、観るだけで自分の気持ちが波打つように押し上げられて身体を突き破り、しぶきになってシャワーの如く降ってくるみたいな抑揚と幸福を感じる。 この物語が紡ぎ出すピアソン家の全てが愛おしい。 そしてこの物語は「視線」の物語でもあると思う。 母親のレベッカが息子のランダルと過ごす1日。 人生の最終章

        • 身体模様

          姪っ子の身体がとても美しかった。 熱海へと家族旅行に行った。 私たち家族に、父母、弟家族、それに家族同然の母の友人合わせて12人の大所帯だ。 泊まる場所は老舗ホテルの大野屋。 ここはスタジオジブリのアニメ「おもひで ぽろぽろ」の一場面として、小学5年生のタエ子ちゃんが、おばあちゃんと一泊旅行へとやってくる場所だ。 三色スミレ風呂にローマ風呂など、アニメとほとんど変わらない大野屋のお風呂は、多彩なバリエーションがありとても楽しい。 ローマ風呂は高い天井とプールみたいに広々

        今日の日はさようなら。

          Motherhoodについて考えた

          「How is motherhood?」 メキシコに暮らしている友人のガビーから メッセージが届いた。 ん?motherhoodとはなんぞや? childhoodなら知ってるんだけどな。 メキシコで多少なりとも英語を学んだにも関わらず、お恥ずかしいのだけど、今まで生きてきて42歳まで「motherhood」なる単語に出くわしたことがなかった。 調べてみたら、「hood  」には、状態、性質、集団を表す意味があるらしい。だからよく使われるchildhood は、子供である状態

          Motherhoodについて考えた

          北欧旅 vol.3

          ヨーロッパは国と国が近い。 週末になると船に乗って違う国へと買い出しにいったりする。 これは日本とちがうところで、私達は普段船に乗る機会がとても少ないように思う。 今回は生まれて初めての船旅。スウェーデンのストックホルムからフィンランドのヘルシンキまで16時間ほどの海の旅だった。 船の中にはごはんを食べられるレストランやバー、ダンスフロアやサウナなど、楽しめるものがたくさんある。 とりわけ私が興奮したのは船の上でのお買い物だ。免税店や土産物屋さんがあるので、なぜか海の上

          北欧旅 vol.3

          北欧旅 vol.2

          エストニアのタリンにあるレストランに入った。ロシアに近いこの国の女性は、金髪で長身で美しい。ウエイトレスの女性も、とてもきれいな人だった。 こんもりと上品に盛りつけられたスパゲッテイを素早くテーブルに置きながら、「Bon appetit!」とスマートにサーブをしてくれた。 わたしたちは目の前に置かれたスパゲッテイを夢中ですすった。 とてもおいしくて、おいしくて、話すのを忘れるくらい。わたしとスパゲッテイしか世界に存在しないかのように。 スウェーデンのストック

          北欧旅 vol.2

          北欧旅 vol.1

          フィンランドへ到着した翌朝、友人のガビーが 車で5分ほどの距離にあるパンやさんに連れてきてくれた。 パンと飲み物を注文して席へと座る。 小さな店内にはテーブルが3つ縦に並んでいた。どのテーブルにも体格のいいおじさんが一人で座っていて、お互いの背中を眺めながらまっすぐに前を向いて黙々とパンをほおばっている。 私はガビーと彼女のフィンランダーの夫にフィンランドの人たちはシャイなのかと訪ねてみた。 さっきも年の多い男性とすれ違ったけれど、目が合いそうになったらとっさに節目がちにうつ

          北欧旅 vol.1

          昨夜のカレー明日のパン

           「昨夜のカレー明日のパン」   脚本:木皿泉 「みんな前へ進めっていうけど   どどまるのって そんなに  だめなことなのかな  まだ前へなんていきたくないのさ」 秋になって金木犀が香る頃に見たくなるドラマがある。 脚本家の木皿泉が書いた小説が原作のドラマ 「昨夜のカレー明日のパン」だ。 毎週日曜日の夜にはいそいそとテレビの前で始まりを待った。 夫が亡くなったあとも夫の父親(義父)と一緒に暮らしつづけるテツコさん。 彼女は夫の父親を「ギフ」と呼ぶ。 けれど「義父」の持つ

          昨夜のカレー明日のパン

          いつかの旅 広島編 vol.2

          尾道でみたかった景色がある。 ゆるやかな坂道や階段が多い尾道の山の上にたっている千光寺。 そこからみる景色は、これぞ尾道という感じで、テレビでときたま特集されたりもしている。 遠くには、瀬戸内海の島々がぽつりと見える。 波の少ない凪の海が、家並みに沿って湾に入り込む。 高いところからみると、海はおおきな蛇のように、ゆったりとした曲線を描いている。 人の生活がすべて眼下に広がっている。 家なんておもちゃみたいに見える。 海と山は変わらずそこにつっ立ってぬぼーとしてる。 はじめて

          いつかの旅 広島編 vol.2

          病室にて

          入院している。 同室はわたしを含めて3人。 小さな白い空間をカーテンで四つに区切り、それぞれがそこで生活をする。 トイレも洗面台も同じ部屋にあるけれど、うまいこと鉢合わせをしないようにそれぞれが順繰りと利用する。 わたしに感じられるのは、2人の息づかいだけだ。 カーテンを開けたり、本のページをめくったり、歯磨きをする生活のオト。 わたしが入院した日、同室の2人は手術当日だった。 カーテン越しに看護士さんのバタバタとした慌ただしい足音や、ストレッチャーで手術室から戻ってくる患者

          病室にて

          メキシコ滞在記 vol.3

          タクシードライバー メキシコで乗ってはいけない乗り物の一位はタクシーだ。 私がメキシコ北部のモンテレーに暮らしていた1990年代後半も同様で、現地に暮らす日本人の責任者からタクシーを利用しないようにと きつく言われていた。 外国でタクシーに乗り誘拐された例や、お金を強引に奪われた例、様々な犯罪行為がタクシーと紐付けされていた。 「デンジャラスタクシー論」を聞く度に私は声を大にして言いたくなる。 190番のナンバープレートをつけたタクシーのお兄さんや、その他大勢のタクシーの

          メキシコ滞在記 vol.3

          メキシコ滞在記 vol.2 

          身体と踊り メキシコ人は日本人とはまったく異なる身体の質を持っている。 初めて現地の小中学校のお祭りに行く機会があった。 高学年ともなればもうすっかり大人びている。当時小学6年生だった弟はメキシコ人のお友達と足早に消えてしまった。 取り残された私と母は一緒にぶらぶらしていた。 校庭の一角ではさながらディスコのような場所が作られていて、大人も子供も音に巻かれてつむじ風のごとく、身体を揺り動かしている。 くるくるした巻き毛の女の子が、花柄の半袖のシャツにジーンズ姿でリズムにのっ

          メキシコ滞在記 vol.2 

          メキシコ滞在記 vol.1

          出発 16歳から18歳までの2年間と少し、私はメキシコという国で暮らしていた。 アメリカかぶれだった中学時代。 突如舞い込んだパパの海外赴任。 アメリカではないものの、「異国の地に暮らす」という甘美な言葉に酔いしれた私は、即座にメキシコ行きに賛成したと記憶している。 想像では大好きな赤毛のアンにでてくるような自然豊かな白樺の森の中で、本を読む自分を思い描いていたように思う。 出発の日の朝、友達たちが見送ってくれた。 泣いているみんなの輪の中でわたしは泣けなかった。 どうしてな

          メキシコ滞在記 vol.1

          雛妓

          「雛妓」初出1939年  岡本かの子 「家霊」これは岡本かの子が作った造語であろう。 代々続く地主の家や、伝統工芸の担い手が育まれる家、何世代にも渡り営む飲食店の家、名家と呼ばれる由緒正しき家。 そんな風に昔は今よりもずっと、家そのものがその中に住む人たちを翻弄しうる様な力を持っていたような気がする。 暮らしを営む箱という役目以上の、なにかおどろおどろしたものを背負うた家という魂の固まり。 この重圧は平凡な家に生まれた私になぞ到底理解できないだろう。 主人公のかの子の家の家

          城の崎にて

            「城の崎にて」 1917年 志賀直哉著 本をバックに忍ばせて、土肥へと車を走らせた。 友人家族との1泊旅行である。 「城の崎にて」の主人公は、大きなけがの療養の為、城の崎へと赴く。 もしかしたら命がなかったかも知れないということが、高く積み上げたタイルを一枚、ふいに引き抜かれたような、ぐらぐらと静かに彼を震わせた。 自分ごとではないが私もまた、遠い異国の友人の訃報を受け取ったばかりであった。 主人公は温泉宿に滞在しながらゆっくりと、時間をかみ砕くように過ごす。 蜂や鼠

          城の崎にて