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A児を解き放て!
一斉授業において、早く終わった子が待っていることがある。研究授業を参観しているとそういう場面をよく見る。それでいいのか?
1.C児への手立て
指導案に「C児への手立て」を書くことになっていることが多い。なぜC児への手立てはあるのに、「A児への手立て」はないんだろう?全員をその1時間で分からせようとするあまり、C児への支援が手厚くなり、A児は待つことになる、というシーンを多く見る。その結果、A児は忖度して待つことができるようになる…。これでいいのか?そもそも、その1時間で分からせようとして、C児にとっては辛いかもしれない。理解するのに時間がかかる子は、単元の終わりの頃に、じわじわ理解してくることもある。A児にとっては退屈で、C児にとっては息苦しい。そんな授業になっていませんか?
2.待つのも勉強?
よく「待つのも勉強!」という先生がいます。私もそうでした。しかし、今の私はそうは思いませんし、昔そう言っていた自分に喝を入れたいです。「終わったら、待つ子を育てたい」と思っている先生はいないはずです。大人の都合に付き合わせているだけですよね。そんなこと言ってもそうするしかないんですよ。という声が聞こえてきそうですが、少しの工夫でA児を解き放つことができると思っています。
3.そろわなくて当たり前。「幅」があっていい。
「そろえよう」「全員理解させよう」という気持ちが強すぎて、A児を待たせることになっているのは、教師が真面目すぎる、枠にはまりすぎているからかなと思っています。これから取り組む課題を示すときに、「幅」をもたせることが大事だと思います。個人個人作業のペースは違うのだから。
(例)
①問題Aをやる
②ドリルをやる ←ここまではやってね!
③スタディサプリをやる
④用意したプリントをやる
⑤問題づくりをする
⑥問題を出し合う
こういった「幅」を持たせて指示をするだけで、A児は解き放たれます。終わりのない指示をします。
以上、エンチャントでした。