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双子を亡くして1年。いま思うこと

自己紹介にも敢えて書かなかったが、昨年私は「後期流産」で双子を亡くしている。
普段は南アフリカ生活について綴っているが、節目の日に合わせて記事を残そうと思う。


自分の身に起きたことを振り返る

ちょうど1年前。

双子を授かり、妊娠5ヶ月だったときのこと。

転院して通い始めたばかりの総合病院に緊急搬送され、既に絶望的な状況と診断された。


ご存知ない方のために言うと、12週を過ぎるとどんなに小さくても下から「出産」することになる。例え中絶するケースだとしてもだ。


私の場合は、望んでいた。
多嚢胞性卵巣で、治療を受けながらのタイミング法でようやく授かった子たちだった。


それまで何の異常もなかったのに。
1人だけでも助からない…?

4日間、絶望しながら痛みに耐えた。
結果的に、2人とも生きることはできなかった。


3時間後、運ばれてきた我が子たちは保冷された木箱に入っていた。
一般的な新生児の1/10程度の大きさ。お外で生きていくには、あまりにも小さすぎた。

2日後、泣き崩れながら出棺を見送り退院。

1週間後の火葬も、涙が止まらなかった。

人生史上最悪の「精神崩壊」

病院内で既に非現実感と不眠症状が出ていたが、病院の外に出てそれが強まった。

「目が覚めていて、起きている感覚もある」のに、それが現実であると思えなかった。
ぼーっとテレビやYouTubeを見るのが精一杯だった。

外出も、ひとりでは到底できなかった。
家の外に1歩出ることすら、怖くて仕方がなかった。
夫が付いていれば、ある程度は外出できたがそれでも目に飛び込んでくるあらゆるものが怖かった。

家の玄関から1歩外に出ることができたときに、それだけで涙が溢れたのを鮮明に覚えている。


希死念慮とも闘った。

なぜ自分だけが生き残ってしまったのか。
自分だけ生きていても仕方がない。
強烈な罪悪感とともに、自分の存在意義を根底から疑う日々。
衝動的に線路に飛び込もうとしたり、2階の窓から飛び降りようとしたことも複数回。


そんな生活が、1ヶ月以上続いた。
家の中での家事はできるようになったが、1人で家から徒歩2分の公園に行けるようになるまでにそれだけかかった。

死生観の変化

希死念慮との闘いの中で、刺さった考え方がある。

なんで生きるかというと、死ねねえからだよ。

立川談志

自分が「生きている」という現実が先にあり、「生きる意味」「生きる理由」「生きる目的」はすべて後づけだということ。もともと存在しないものだから、見つかるはずがないのだ。

人間は自分の存在意義(世界そのもの)を知ることはできない。

カント

そんなことを偉い哲学者までが言っているなら、考えても仕方ない
そう思ったら、それまでグルグル考えていたものがフッと楽になった。
虚無感を感じることはなくならなかったが、この考え方が助けになったのは確かだ。

ちなみに、全文は以下から読むことができる。

夫婦関係の変化

夫には感謝してもしきれない。
搬送にも同行してくれた上、4日間に渡って帰宅と急な呼び出しの繰り返しに全て対応してくれた。
“出産後”の2日間の経過観察入院にも、個室で隣に寝てくれた。

心身、特にメンタル面の回復には時間がかかるということに対しても、始めから理解を示して包み込むように付き合ってくれた。

前述の衝動たちを毎回止めてくれたのも夫。
何かあるたび、というより何もなくても「今日もかわいいね」「(私)は宝物だよ」と言ってくれることが格段に増えた。

総じて、夫婦の絆は強くなったと実感している。

1年記念に作った、ペリドット(色)のネックレス

周囲との向き合い方の変化

「人生観が根底から覆る経験」を経て、当然人との関わり方も変化した。
最も大きいのは、「相手の理解を期待しすぎない」ことだ。

自分が思っていること、感じていること。
言葉にすればある程度は伝わるが、言わなければ分からない。
ここまでは今までと同じだが、「言っても分からないだろうから言わない」ことや「人前で言うべきでない考え方だから言わないでおこう」というものが増えた。

双子は確実に「家族」であり「自分の娘たち(2人とも女の子)」だが、存在すら知らない人の方が圧倒的に多い。こちらから言わなければ「なかった存在」にすらなりかねない。
この事実とも相当に葛藤したが、「夫婦の心には永遠に留まる」し、「言いたい人 / 分かってくれる人に伝える」ことが最適解という考えに落ち着いた。

自分の思考が言語化できるようになった

退院した直後から、自分がことあるごとに涙している状況を整理するためにノートを書き始めた。

最初は涙が出た状況と理由の箇条書き。
睡眠障害が出ていたので、睡眠のログや心身の経過観察ログも同時に書いた。

そのうち、ほんの些細なことでも良いから「プラス」だったこと。
「睡眠薬なしで眠れた」ことに始まり、「コンロ周りの掃除ができた」、「目の前の作業に穏やかな気持ちで取り組めている」などどんな小さいことでも書き留めた。

また、1週間ごとに自分の変化の振り返り書いてみたり、涙は出ないのに頭の中で激しく考えが巡ってネガティブ思考全開になったときの記録を書いてみたり。
およそ2ヶ月間で、CampusのB5ノート1冊がもうすぐ終わるくらいまで書いた。

その後スケジュール帳にメモ形式で日記を書き始めたこともあり、自分が何をしていたか、何を考えていたかをよりスムーズに言語化できるようになったと感じている。

こうしてNote投稿ができるようになったのも、この経験があったからだろう。
人生史上最悪の経験だったが、得られるものもあったということだ。


この記事が、同じような経験をした方に届いてくれれば何よりだ。


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