フォトグラファー / 小野友暉 【プロフィール】
表にだしている肩書きはフォトグラファー / ライター / SEOコンサル
現在の収入源は全部で7つあります。昔から一つのことに特化するのが苦手なタイプ。完全なマルチタイプで、性格通りマルチに活動しています。
写真関連のメディアを運営していることもあり、メインの肩書きは「フォトグラファー」としていますが、飲食関連のお仕事や、広告関係、Webデザインのお仕事もしています。
以下、フォトグラファーとしてのプロフィールと僕の人生のこれまでを簡単にまとめました。是非最後までお読みください。
フォトグラファー 小野友暉のプロフィール
鹿児島県出身、大阪在住。1992年11月20日生まれ。カメラをはじめて約2年で年鑑書籍「プロカメラマン File」に掲載。日本最大の写真の祭典「関西御苗場2018」レビュアー賞受賞。現在は広告写真撮影をはじめ、写真教室講師も務める。作家としても多数賞を頂き、個展や展示活動を行う。また写真以外でもライターとして、カメラ雑誌やWebメディアでの執筆活動も行う。SEOマーケティングアドバイザーの資格も有しており、SEOコンサル等の実績も持つ。 関西写真部SHARE
小野友暉ポートフォリオサイト
フォトグラファー小野友暉の作例
作例の一部をご紹介します。
広告撮影では、主にアパレル関係のモデル撮影案件が多いです。アパレルブランド、SPINNS(スピンズ)を全国展開されている、株式会社ヒューマンフォーラム様の新ブランド「進化型古着屋森」のビジュアルなどを担当させていただいております。
その他、飲食系雑誌などの実績が多数あります。
波乱万丈な小野友暉のこれまで
1992年11月20日生まれ、鹿児島県出身。電車も通っていないバスも数時間に1本しか走っていない超ド田舎でで生まれ育つ。母子家庭でどちらかというと貧しい家庭だった。
母親もずっと仕事で外に出ていたので、小さい頃は一人で遊んでいる記憶が多い。そのせいもあってか幼少期は極度の恥ずかしがり屋で人前では全く喋らない人見知りの激しい子供だった。
だが、根っこの性格は好奇心旺盛で情熱や正義感が強い性格。ただそれを外に全く見せないので、小中学生時代はなかなか理解されにくく、いわゆる"変人"で周りにもあまり溶け込めなかった(それは今もかもしれない)。
小中学生ではサッカーに打ち込んでいて、進学したいと思っていた私立高校からスポーツ推薦(レスリング)ももらったが、坊主にするのがどうしても嫌で、頑張って勉強して学業の特待生でなんとか入学。
入学後はボクシングを始める。そして勉強も全くせずに途中でグレだして、喧嘩やバイク乗り回したりでハチャメチャな学生生活を送る。(この頃のエピソードはマジでヤバいものばかり)
何度も謹慎を受けて退学寸前にまで落ちいる。ついには学校もサボるようになり卒業も危うかったが、卒業間近で1学年下の子らと一緒に授業を受け、出席日数を稼ぎなんとかギリギリ卒業。この頃より自分には「協調性が全くない」そして「好きなことしかできない性格」と自覚する。
高校卒業後は大阪へ上阪し、音楽の専門学校へ。実家は貧しく当然学費なんて払えないので、学費を自分で稼ぐために新聞奨学生の制度を利用し毎日新聞配達をしながら学校へ通う。この頃はお金も全くなく、4畳の狭い部屋(新聞寮)で毎日苦しい生活をしていた。新聞配達先の定食屋のおばちゃんが大阪の母のような存在になり、支えてくれて人との繋がりや出会いの大切さを学ぶ。そして大阪の府民性が大好きになる。
音楽専門学校時代は夢見るバンドマンで、CD作ったりラジオ出演したり、大阪の音楽大会でも決勝までいったりした。
しかしそれ以上伸びることなく音楽に挫折し音楽学校卒業後やむなくIT関係の会社へ入社。
大手病院のIT部門の仕事をしていたが、1年4ヶ月で退職。その後たまたま定食屋で相席になった人のお誘いがきっかけで21歳でフリーランスになる。
フリーでは芸能人や資産家など普段なら絶対に関わることのない人たちと関わるお仕事で、そのおかげで業界人の友達や知人も増えて人脈が大きく広がり、仕事に対する考え方も180度変わる。また自身もサラリーマン時の4〜5倍稼げるようになる。
若くしてお金を手にしてしまったせいもあり、豪遊しまくる。毎月2〜3回、国内外へ旅行しまくっていたり、高級のディナーを月に何回も食べに行ったりわかりやすーく遊んでいた。
そんな生活が2年間続いたが、無知で天狗状態で調子に乗っていたところに目をつけられ、信用していた人に騙され詐欺にあい、全てを失い人生のどん底へと突き落とされる。さらにこの頃よりストレスが原因でパニック障害を患う(現在も闘病中)。
落ちるところまで落ちたが、今まで培ってきた人脈のおかげでたくさんの人の支えや助けもあり、なんとか立ち直る。お金を稼ぐことの本当の難しさと、人生において大切なものは何かを思い知らされる。
そして心を入れ替えもう一度いちからやり直そうと決意。そこで当時趣味としていたカメラを仕事にしようと考える。同時にもう一度社会人を経験しようとお世話になっていた飲食店オーナーから紹介されデザイン会社へ入社。この頃に「関西写真部SHARE」という写真部とメディアサイトも立ち上げる。
それからは仕事しながら徹夜でWebやカメラの勉強や記事を書いたりの毎日を何年も続けていた。
そしてカメラを始めてから1年で海外から撮影のオファーを頂いたり、2年3ヶ月で年鑑書籍「プロカメラマンFile」に掲載、日本最大級の写真の祭典「関西御苗場2018」ではレビュアー賞を受賞。
その後個展の開催など、独学ながらも様々な実績を作る。
最近ではメディアへの出演やトークショー登壇、カメラ講師等も務める。
またライターとしてもカメラ雑誌(フォトテクニックデジタル・デジタルカメラマガジン)や様々なWebメディアでの執筆活動も行う。
自身で立ち上げたカメラマン向けメディア「関西写真部SHARE」は月間29万PVのメディアへと成長を遂げ(2020年6月現在)、SEOマーケティングアドバイザーの資格も取得し、SEOコンサル等も行うように。"考え方"が構築されてから面白いように結果が出るようになった。
人と人との繋がりで人生を救われた経験から、自身で立ち上げた写真部は「写真を通じてたくさんの人と繋がりを作る」というコンセプトのもと、写真だけに止まらない活動を行う。
現在は「楽しいことは作ればいい」をスローガンに、様々な取り組みを行っている。
フォトグラファーとしての主な活動・実績
2016.03 撮影依頼を受け香港へ。カメラマンデビューとなる。
2016.05 Makuake 写真展プロジェクト
2016.05 写真展『ファインダー越しの私の世界』
2017.05 写真展「好きな写真と生きていく」
2017.07 東京カメラガールズ×関西写真部SHARE 撮影会 講師担当
2017.09 Google 認定プロフェッショナルフォトグラファー就任
2017.09 写真展「好きな写真と生きていく」in鹿児島
2017.10 年鑑書籍「プロカメラマン File 2018」掲載
2018.03 『おどらぼ芸術祭2018』 出展・出演
2018.07 写真展『一瞬は長いと知った』
2018.09 『関西御苗場2018』レビュアー賞受賞
2018.09 年鑑書籍『プロカメラマンFile 2019』掲載
2019.05 個展『She is...』
2019.08 写真発信におけるWebとリアルの使い分け トークショー登壇
2019.08 Art photograph group show 光と瞬 vol.47 出展
2019.09 関西御苗場2019トークショー登壇
2019.10 年鑑書籍『プロカメラマンFile 2020』掲載
2020.03 フォトテクニックデジタル 2020年4月号 記事執筆
2020.04 デジタルカメラマガジン 2020年5月号 記事執筆
メディア出演・掲載歴
2016.12 年末特別番組「ミヤネのナンバーワン 2016」 ※写真部企画
2018.01 読売テレビ 「朝生ワイド す・またん!」 ※写真部企画
2018.09 関西御苗場2018 受賞者インタビュー記事 / PHAT PHOTO
2019.05 FM802『BEAT EXPO』ゲスト出演
2019.11 エフエム滋賀 Friday Relaxing Space “Go! Go!” ゲスト出演
2020.03 大阪ローカルメディア「ぼちぼち」インタビュー
2020.03 「CREATIVE VILLAGE」 クリエイターインタビュー
noteでしたいこと
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