今日が余計に進まないように 〜フランス好きライター・えなりかんな深堀りインタビュー〜
<簡単な序文ぽいなにか byえなり>
わたしは、内省も自己分析も得意な方だと思う。でも、いくら自己分析ができても、自分が見ている自分と、他者が見ている自分は違うものだ。
ちょっと一回めちゃくちゃ他者に語られてみたい。
内省しまくった結果、そんな謎の欲望を抱いたわたしは、大切な友人でもあり、野生の批評家である脱輪さんに依頼し、インタビュー記事を書いてもらうことにした。ちなみに脱輪さんにお願いした理由は、脱輪さん自身がめちゃくちゃ面白くて、この人の書くインタビューを読んでみたかったからだ。どこまでも私利私欲。
すると、さすがの脱輪さんで、バキバキに明確にわたしを解釈してくれて、もう自己紹介として会う人全部の脳にこの記事を転送したいくらいのものを書いてくださった。宝物すぎる。そんなふうに見えてるのね!と驚きもありつつ、結果的に自分の輪郭もより明確にできた。感謝しかない!ということで、以下、脱輪さんに書いていただいた文章です!
・はじめに
えらいこっちゃ。どないしょ。ぜひわたしのインタビューを、とのお達し。ありがたや。お相手が大好きな人ならなおさら。
せやけどわいにインタビューなんてできんのかいな?
えなりかんな。一般企業に勤務する傍ら採用広報記事などの執筆を請け負い始め、フリーとして独立。以後専業。年間130冊以上の本を読むフランス好きライターとして好調に活動を続け、今年で1周年を迎える。
あかん。
プロや。
ガチガチの。
そないなお人にインタビュー&ライティングなんて、シロートのわいにはとっても無理や。
というわけで、ここはひとつ発想の転換コロンブス・エッグ!
友人としての強みを生かし、ライターとしてというより人間・えなりかんなの魅力に迫ってみようと思う。
浮かび上がってきたのは、ネガとポジ、メインとサブ、エロスとタナトス·····昨今流行りの陽キャと陰キャというくくりを超えた、より深く本質的で、誰しもの中にある人間の“二面性”だった。
・二面性のレシピ
いつもえなさんに感じるのは、やわらかさとかたさの絶妙なバランス。心優しく寛大な気質に、譲れない信念と行動力。
イメージするのは、スポンジ。柔らかく伸び縮みしながらいろいろな人と触れ合い、いろいろな知識を吸収しながら成長していく。でもそのスポンジの中心にはぶっとくて硬い芯が通っていて、フランス譲りの不羈独立の精神がたしかに宿っている。こうした魅力的な二面性はどのように培われたのだろう?えなさんのレシピが知りたい。
「家族ですか?両親と、それから弟が一人。でも自分は誰とも似てない感じがして不思議なんです。わたしだけ独立心鬼ツヨで(笑)
小中学校時代は、特に活発でも暗いわけでもなく、クラスの中心でわいわいやってるグループからちょっと離れてサブのグループにいる子供だったと思います。
今でも親に言われるのは、ちっちゃい頃、弟がガラスに頭を突っ込んで大怪我をしたことがあったんですけど、わたしはいつも通りけろっとした感じで祖母を呼びに行って、大人たちをびっくりさせたそうです。もっと慌てなさいって(笑)」
肝が据わってるというか、おおらかで動じない。えなさんらしいエピソードだ。
普段書かれている流麗で端正な文章から受ける印象とは違い、彼女自身はけっして饒舌な方ではない。それでも、ゆっくりと、考え考え、誤りなく自分の気持ちを伝えようとする話しぶりからは、相反する性質の静かなぶつかり合いが感じられる。それを、だれか・なにかと関わりを持つ際の倫理なり誠実さと言い換えてみてもいいだろう。あるいは、生きる上での気合いのようなもの。
やわらかさとかたさ。メインとサブ。えなさんを語る上で、二面性は大きなテーマになりそうだ。
「全然動じないってわけじゃなくて、生きてるなかで緊張することとかはもちろん普通にあるんですけど、なんていうか、昔から今の自分とは別にそれを俯瞰してるもう一人の自分がいて。そのサブの部分が、あ〜今メイン緊張してんな〜、こうしたらもうちょっとマシになるんじゃないかな〜とかをアドバイスしてくれる感じなんです」
メインとサブの区分けは、外だけではなく内にも存在する。厳しい現実に揉まれて悪戦苦闘する主人格と、そのケアとツッコミを兼ねたメタ的な意識としての副人格。
中島らもがなにかのエッセイで書いていたことを思い出す。自分の頭のちょうど右上あたりにそのさまを冷静に観察しているもう一人の自分がいて、「な〜にマジメにやってんだ。ばかじゃねえの」とからかいの視線を投げかけてくる。むかっ腹が立つが、そいつのおかげで狂わずに生きてこれたと。
わたしというパーソナリティーが複数の層を成しているような感覚は、おそらく多くの人が抱えているものだろう。特にものをつくる人間にとって、日常のメモリのどこかにサブ的な精神の領域を担保しておくことは重要かもしれない。干からびた大地に霊感の泉は湧き出さないからだ。
とはいえ、ことはそうやすやすとは運ばない。社会なり世間という大きな集団は、得てして個人のサブを抑圧する方向にはたらくもの。無頼で知られた中島らもは、会社員時代に重度の鬱を発症し(営業に出た先で、突然電信柱の前から一歩も動けなくなったという)、作家になってからも生涯アルコール中毒に苦しめられた。辛い経験のことごとくを作品に昇華し得た点に表現者としての凄みを感じはするものの、その彼ですら、と逆に暗澹たる気持ちにもさせられる。
日々感じる不安やプレッシャーによってメインのメモリが押し広がり、サブの保護機能が上手く機能しなくなる。そんな“いっぱいいっぱい”の状態に、えなさんはどう対処しているのだろう?
「う〜ん。たぶんサブが人より強力なんだと思います。例えばだれかに怒られていっぱいいっぱいになっちゃいそうな時も、この人はたぶんこうしてほしいんだろうな〜、とか、裏でサブがめっちゃ考えてる感じ。常にメインとサブが一緒にいるような感覚で、完全に機能しなくなることはないかもしれないです」
頼れる相棒のサブが上手く立ち回ってくれるおかげで、いつも明るくポジティブなメインを保てるというえなさん。これだけ聞くとなんとも能天気で羨ましい話のようにも聞こえるが、その秘訣は意外なところに隠されていた。
「子供の頃からずっと、なぜか死が身近にあるんです。自分が長生きする感覚がなくて、たぶん早く死ぬんだろうな〜というか、常に死がめっちゃ近くに感じられている。自分でも不思議なんですけど、どうせすぐ死ぬと思ってるからこそ、思い切った行動が取れるのかもしれません」
なんと、ポジティブなエネルギーを生み出しているのは究極のネガティブ思考だったというのだ!
そういえば、と、ふと思い出す。僕が運営している“人類初!お金がもらえる文学サークル・お茶代”で「夏と○○」いうテーマで原稿を募集した際、えなさんから送られてきた文章に驚かされたことがある。タイトルは「夏と死」。
まだ知り合って間もなく、SNSで多くの人と積極的に交流を図るポジティブな側面しか知らなかった僕は、自身の死への欲求を見つめる内省的で文学的な内容に大いに戸惑わされたものだ。
が、今ならわかる。死への欲求=タナトスは、えなさんの逆説的な本質なのだと。
精神分析学の創始者フロイトは、人間の本来的な生の欲求をエロス、死や破滅に向かう衝動をタナトスと名づけた。わたしたちはみんなエロスとタナトスの両極に引っ張りあいっこされながらその緊張関係のなかを生きているわけだが、問題は個々人によって異なる綱引きのバランス。
きっと、えなさんの中でタナトスはエロスを突き動かす創造的な力として作用しているのだろう。「人よりもサブが強力」なのは、それがタナトスというパトロン(どうせいつ死ぬかわかんないんだし思いっきり生きよっ!)からサポートを得て、メインの安定を上手に図っているせいなのかもしれない。
とはいえ、「最近また新しくビジネススクールに通い始めた」と語るとおり、常に上を目指して勉強を怠らないえなさんの行動原理が死に根差しているというのは、いまいちイメージしづらいが·····?
「環境が変わらないと、もともとある虚無が余計に進む気がするんですよ。同じことをずっと続けてると、どうしてもあ〜飽きたな〜ってなってきちゃう(笑)今の自分をぶっ壊したくなるというか」
なるほどこれではっきりした。要するに、えなさんの中での上昇志向は自己破壊欲求の裏返しなのだ!(笑)
漫然と日々を過ごしていると退屈する。タナトスがむくむくと首をもたげる。今の自分を“ぶっ壊したくなる”。でも、だからこそ、新しいことにどんどんチャレンジしていく。
エロスとタナトスは兄弟、とフロイトは言ったが、たしかに死への欲求を叶えるためには、まっさらな生を次々と手に入れていくのが一番手っ取り早い。時に衝動的で危なっかしく思えるえなさんの行動力は、拭いがたい死への欲求の表現でもあるのだろう。
「あと、わたしの上昇志向は自由と結びついてるんです。選択肢というか、人生において自分が選べる範囲を広げていきたい。やりたいこと全部やりたいからもう上に行くしかない!みたいな(笑)お金持ちになりたいとか地位を得たいとかじゃなくて、とにかく自由になりたいんです」
・読書と推し活
「タナトス」を入れると「エロス」が、「ぶっ壊す!」を入れると「自由!!!」が出てくる·····そんなふうにネガとして入力された欲望がポジに変換されて出力されるスーパーえなさんコンピューターの回路は、ライターとしての代名詞である読書やフランス好き、ナチス・ドイツへの関心とどのように関係しているのだろう?
パーソナリティーに触れつつ、読書歴をたどっていこう。
「子供の頃は学校の図書室にあった『学校の怪談』シリーズや戦争の話を読むのが好きでした。やっぱりホラーな興味というか、死の欲望の目覚めがあったんですかね(笑)ナチス・ドイツについては、もちろん好きではないし擁護するつもりもまったくないんですけど、ああいう特殊な状況下での人間心理に興味があるんです。加害者側も被害者側も、どういう気持ちだったんだろう?みたいな。
小4くらいの頃には、家にあった漫画のベルばらにハマって、フランスやフランス革命周辺のロマンに魅力されました。
あと好きだったのは当時ちゃおで連載してた少女漫画の『ミルモでポン』ですね。これはなににも繋がらないかもしれませんが(笑)」
一方で、本格的に活字に興味を持ったきっかけは、ちびまる子ちゃんで有名なさくらももこのエッセイだったという。
「小学校の4年生か5年生ぐらいだったかな、母親が持ってた『もものかんづめ』にハマりました。ブラックユーモアが効いてて、とにかく笑えるんです。一番好きだったのがお葬式のエピソード。さくらももこさんのおじいさんって、ちびまる子ちゃんの友蔵みたいないい人じゃなくて、めちゃくちゃいじわるな人だったらしいんですけど、そのおじいさんが亡くなった時に、ご遺体の口がどうしても締まらなくて、しょうがなく花柄のタオルかなんかで縛ったら、メルヘン翁になってすげーおもしろかった、みたいなことが書いてあって(笑)」
三つ子の魂百まで。小学生ながら、笑いどころが早くも死(笑)先に披露してくれた「弟が大怪我してるのに平然と〜」エピソードにも共通する味わいだ。
さくらももこからはユーモラスな文章表現に影響を受けたというが、さらに強い印象を受けたのは、今で言う推し活の中で得たより体験的な“読書”だったという。
「小学校4年生の時に『ごくせん』を見て、KAT-TUNの赤西くんとジャニーズにハマったんです。自由と独立を愛する心は、もしかしたら彼に影響を受けたのかもしれません(笑)そこでいったん読書が一番の時期を卒業して、長い長いジャニヲタ時代に突入する。わりと最近、コロナ期間になるぐらいまでオタクをやっていたので、歴は10年以上ですね。で、その頃好きだったのが自分と同じジャニヲタのブログを読むことだったんです。文才のあるオタクの文章ってめっちゃいいんですよ!勢いと熱量がすごくて。わたしがnoteで公開してる文章には、けっこうそのテイストが入ってると思います」
やわらかさとかたさのバランス、と最初に書いたが、えなさんが仕事というより趣味でnoteに上げている文章にはその魅力がよく表れている。観察者としての冷静な視点と、ファンとしての無邪気な情熱。なにかの純粋なファンになることができないせいで批評をやっている僕のような人間からすれば、特に後者の側面が羨ましく思えて仕方がないのだが、もしかしたらその素養は推し活を通じて養われたのかもしれない。例えば、難解な本についてのレビューをコンサートの熱気を綴るライブレポのような気持ちで書いている、と考えれば、あの絶妙なバランスにも納得がいく。
以来、大学に進学してからも、コンサートに足を運ぶためにバイト漬けの毎日を送る日々。本への情熱が再び戻ってきたのは、就職活動を始めたタイミングだったという。ストレス解消のためにお金のかからない趣味を探していたところ、読書に行き着いたそう。
「考えてみたら、読書ってめっちゃコスパいいじゃ〜んって気づいて(笑)それで本屋さんに行ってたまたま買った綾辻行人さんの『十角館の殺人』に衝撃を受けたんです。いわゆる叙述トリックものは初めてだったんですけど、とある一行でのどんでん返しがすごくて。めっちゃおもろい!ってなって、同じようなミステリーを探しに本屋さんに通うようになったら、そういえばわたし、ベルばらとか好きだったよな〜って、フランスや読書への興味が再燃したんですよね」
ライトなミステリーからヘヴィーな人文書へ、あっという間に興味は飛び火。かつての読書少女の魂が目覚めるのに時間はかからなかった。
「そこから『1789 バスティーユの革命』というミュージカルと、中公新書の『物語フランス革命』を読んでフランス革命が大好きになりました。マリー・アントワネットとフェルセンのカップルがとにかく好きで、『マリー・アントワネットの暗号』という5000円近くする本とかも買ったら、だんだん後戻りができなくなってきて(笑)」
良し悪しの話ではなく、さくらももこのエッセイをボクシングで言うところのライト級だとすると、5000円以上する人文書をためらいなく買うようになったら、ヘヴィー級ドクシャー(読者)の仲間入り!リングを下りることは容易ではなくなる。
「今まで買った中で一番高い本は、『フランス文化事典』とヒトラーの伝記本上下、どっちも20000円ぐらいでした(笑)」
・キーワードを深掘り
こうして“年間130冊読むフランス好きライター”が爆誕!ライター・えなりかんなのレシピのできあがり、というわけだ。ここからはさらに、彼女のX(旧Twitter)のポストやnote記事に頻繁に登場するキーワードに寸評を加えてもらい、ユニークな人間性を深掘りしていこう。
・自由
·····「なくてはならないもの。わたしが自由を感じるのは、自分自身でハンドルを握って人生を動かしてる時なんです。なにかを決断する時とか、引っ越しの時とか。今の自分をぶっ壊して新しい自分になれる予感が芽生えた瞬間、自由を感じる。自由を行使してる感が好きなんですよね。
あと、最近サルトルの実存主義についての本を読んでたんですけど、わたしの感覚に近いなと思って。ボーヴォワールとの契約恋愛もおもしろいし、逆に一般的な恋愛に時間を割かれて自由がなくなっちゃうのは嫌ですね(笑)」
・読書
·····「例えば鳥にならないと鳥の目で見えている世界って体験できないじゃないですか?でも、本を読んでたら書いてる人の目で世界を見ることができるから、選択肢がひとつ増える。もちろん読むこと自体も楽しいし、わたしの思う自由に近づくための手段って感じですかね」
・労働
·····「自由と読書の敵!でも、今の世の中だとやらなくちゃいけないもの。だから、せめてできるだけ好きなことをやりたい。そう思って試行錯誤した結果、今の仕事は労働のなかだとおそらくかなり好きなものだけど、それでも敵は敵です(笑)
より大きな自由を行使するためには選択肢を広げなきゃいけなくて、今の社会で選択肢を広げるためにはお金が必要。だから今より自由になるために仕方なくやってるけど、やってたら全然自由じゃない!(笑)わたしの資本主義批判のポストも、こういう矛盾から出てくるんです。
しかもより大きな自由のために、今ある自由を削ってやってるのに、稼いだお金の多くは自由と一ミリも関係ない、家とか食事とか肉体の生存のために消えるのって最悪じゃないですか?だから早くAIに仕事を奪ってもらって、生活はベーシックインカムで賄いたい。そのためにAIにもっと賢くなってもらわなきゃと思って、めっちゃAIソフト使って学習させてます(笑)」
・死
·····「常に身近にあるもの。やっぱり、タナトスはサブが強いのと関係があると思います。というか、さっきはサブって言ったんですけど、わたしにとってはサブの方が本体、メインって感じ。最近ハマってるミシェル・ウェルベック、エミール・シオラン、ジャック・リゴーあたりの作家も、みんな死と絶望と退屈に魅入られた人たちで、読んでてすごく共感するんです。かっこいい!ってなって、憧れちゃう」
・革命
·····「この前『シン・ゴジラ』を見た時もゴジラが街をぶっ壊すシーンで大興奮したんですけど(笑)、本を読んでてもなにかを破壊できた時が一番嬉しい。今までの常識が打倒されて、新しい考え方が自分の中に入ってきた時。
だから、わたしの中にあるタナトス、破壊欲求が国家レベルで実現したのがフランス革命で、その痕跡が事実として残ってるのがフランスという国なのかもしれません。しかも、わたしが大好きな自由と権利を求めてみんなが戦ったわけなんで、これはもう好きにならないわけがない!だからロシア革命とかキューバ革命とかじゃダメで、歴史的に見ていろいろと批判があるのはわかるんですが、フランス革命はパンク!ってどうしても叫んじゃいます(笑)」
・憧れの地フランスへ
フランスに憧れ、自由と革命の精神に恋い焦がれ、「フランス人になりたい!」それが無理なら「向こうに住みたい!」そう語るえなさんは、今年、ついに夢実現のための一歩を踏み出す。
「12月から1年間、ワーキングホリデーでフランスに行くんです。最初の4ヶ月はパリから1時間くらいの街でホームステイしながら語学学校に通う予定なんですけど、その後はなんにも決まってない。どうせならフランスで働いてみたい気持ちがあるので、例えば向こうでアパルトマンを借りて仕事してみるとか。
友人たちには、行った先で衝動的にフランス人と結婚しそうってよく言われます(笑)それはわからないけど、フランスは同性婚OKで、PACS(パクス)というパートナーシップ制度もあるんです。それこそサルトルとボーヴォワールの契約恋愛みたいな感じで、パートナーという形ならわたしが思う恋愛の感覚にも近いし、お相手が男性である必要もない。
まあ先のことはわかりませんが、とにかく今回はわたしのフランス愛が本物なのかを確かめに行きたいんです。行ったらもっと好きになるかもしれないし、もしかしたら幻滅しちゃうのかもしれない。まあ、がっかりすることはたぶんないと思うんですけど。今から実地調査が楽しみですね」
・おわりに
常に新しいことにチャレンジしていないと、「虚無が余計に進む」。インタビュー収録時、えなさんのこの発言を、僕がたまたま聞き間違えた。今日が余計に進む、と。結果的にこのミスにヒントを得てタイトルを思いついたのだが、というのも、フロイトは言い間違いや聞き間違いに重要な意味を見出したからだ。
そもそも今回初めて機会をいただいて感じたのは、インタビューは精神分析におけるセッション(双方向的なカウンセリング)と非常に近しいものだということ。例えば、インタビュー対象のルーツを幼少期に求める発想は、子供時代の抑圧された記憶のなかに症状の原因=その人をその人たらしめている“核”が潜んでいる、と考えたフロイトの方法と重なり合う。
実際、「今日が余計に進む」と聞いた時、誠に勝手ながら、腑に落ちるような気がした。放っておくとすぐ錆びついてしまう退屈な今日をぶっ壊し、明日へ。まだ見ぬ明日へと。
もしかするとえなさんが追い求める自由は、SF映画に登場する時間跳躍者(タイムリーパー)たちの自由、物理法則に支配されたわたしたちには永遠に手の届かない夢なのかもしれない。
だが、それでも彼女は、不可能な夢に向かって可能な一歩を何度でも踏み出そうとするだろう。これもまた、二面性に引き裂かれて生きる人間に特有の愛すべき矛盾ではないだろうか?
そう、えなさんのなかで死への欲求が生の衝動と繋がり合っているように、本来、ネガとポジは容易に分けられるものでも、対立するものでもない。
エロスとタナトスは兄弟。わたしたちは、自分だけに備わった綱引きのバランスに、時に翻弄され、時に励まされつつ、その仲を上手に取り持っていかなければならないようだ。
はたして、フランス好きライター・えなりかんなは、今後どのような道を歩んでいくのか?
まずは可能な跳躍(リープ)として踏み出された最初の一歩、えなさんの勇気ある旅立ちを祝福したい。
・読書リスト
篠塚ひろむ『ミルモでポン!』(小学館)
池田理代子『ベルサイユのばら』(集英社)
さくらももこ『もものかんづめ』(集英社)
綾辻行人『十角館の殺人』(講談社)
安達正勝『物語 フランス革命:バスチーユ陥落からナポレオン戴冠まで』(中央公論新社)
エブリン・ファー『マリー・アントワネットの暗号:解読されたフェルセン伯爵との往復書簡』(河出書房新社)
田村毅 、塩川徹也 、西本晃二 、鈴木雅生 編『フランス文化事典』(丸善出版)
イアン・カーショー『ヒトラー(上):1889-1936 傲慢』(白水社)
イアン・カーショー『ヒトラー(下):1936-1945 天罰』(白水社)
ミシェル・ウエルベック『地図と領土』(筑摩書房)
E.M.シオラン『生誕の災厄』(紀伊國屋書店)
ジャック・リゴー『ジャック・リゴー遺稿集』(エディション・イレーヌ)
サラ・ベイクウェル『実存主義者のカフェにて――自由と存在とアプリコットカクテルを』(紀伊國屋書店)
・インタビューした人の自己紹介
はじめまして!
野生の批評家を名乗って、映画批評から哲学、恋愛エッセイまで、とにかく笑える文章を書いている脱輪と申します!(note記事の投稿数は3年間で700件以上)
書き物のほかにも、自分と同じ野生の創作者を支援したいという思いから、書けば誰でも原稿料100円がもらえる“人類初!お金がもらえる文学サークル・お茶代”を運営したり、今回のようにインタビューをしたりされたり、対談をやったり対談の司会を務めたり、ラジオに出たり同人誌を作ったり、日々節操なくいろいろな活動を行っています。
というわけで、フリーライター・脱輪は、インタビュー記事の執筆や対談の司会など、お仕事のご依頼を随時募集しております。
野生の批評家を名乗ってはいますが、わりとどんなものでも幅広く受け付けておりますので、まずはこちらのメールアドレスか、X(旧Twitter)のDMまで、お気軽にご相談くださいませ🐻🙌
⏩ waganugeru@gmail.com
☑️脱輪X @waganugeru2nd
🍵お茶代X @ochadaiofficial