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根性の出し惜しみ

    OBさんばかりの集まりに参加させて頂いた。参加というより、父に付いていっただけで、「娘も一緒に・・・」この語尾無しの一言で参加させて頂けたわけですが。
現役を辞しているようで、それぞれの会社の陰の御意見番みたいな存在でしょうか。そのような人の集まり。同期の桜?同じ大学の出身仲間?仲良し会?

食事をぼちぼち口に運びながら、なかなか面白いお話を沢山聞かせて頂きまして、有益な時間を過ごさせて頂きました。

美味しい雲丹は絶品。今時期は桜鱒が美味しい季節ですが、美しいお料理に変身して目を楽しませて頂きました。また、グリーン、ホワイト、パープルのアスパラですが、私の好物はやはりホワイト、そのまま、そのままで食べたいと願っていましたが、まさに、そのままの姿で、、、ニッタリの私はナイフとフォークでホワイトアスパラのオリーブ焼きに夢中でした。

ちらちらと私のすることを心配する父は、そっと自分の皿と私がきれいにたいらげたホワイトアスパラの皿を交換してくれまして。

苦さがたまらない。ホワイトアスパラ万歳と叫びたいところをぐっと抑えておりました。ご馳走様でした。

ところでですね、現在、60代、70代、80代の方々ですから、若い世代に対する期待は勿論のこと、不満もご多分にもれずにあるようで。

やはりな!と感じるばかりでした。

ひとつ気になったのは、「どうも、若い者は、根性を出し惜しみするきらいがある、、」という一言に、皆さんが同調されていたことでした。

職種が違っても同じなのか?
「うん、それはある、」
「ガツガツ頑張るのはカッコ悪いのだろう!」
「いや~価値観が違ってきてる、確かに、」
などと当然さもありなんという感じで。

根性って、出し惜しみできるのかな。
つまり、ご長老さん達は、根性はあるのに、少しずつだして、フル全開で根性を出さないで働いていると感じているのでしょう。

何かあった際に、根性を全開で出せばいい?根性ってそんなものとは違うように思うのですが。
根性などありませんと、胸張っているご仁もいることはいますから。
根性などが背中に貼り付いた頑張り屋さんは、付き合うだけで疲れてしまうと言う女性もいますし。

ご長老さん達は、一言で片付けてしまいますが、私としては、何かとんでもなく耳に残った一言でした。

たまたまなのか、私が一緒に動くチームメンバーは、根性を出し惜しみなどしないタイプのはずで。

根性をコントロールする時代なのでしょうか。
出し惜しみとは、あるのに、少しずつ出す、または、出さないでいるという意味のはずで。

帰宅途中、車の中でその話に触れると、私こそが根性を出し惜しみしていると見えるらしいので。

年長者が「今の若い者は云々」「若い連中の頭の中は云々」とつい口走る類いの事かと訊ねると、父は、

「不満とも批判とも違う、嘆息とも違う。時代の流れを感じつつ、働く人達の考え方の変化を言ってるはずだ。」

生涯一つの会社で頑張ろうという意識は確かに薄れてきているように感じます。
あえて時間拘束される正社員になるより、
パートかアルバイトかで働いて、自分の好きなことを続けたいという考え方の人も増えてきているようにも。

そこが、出し惜しみに見えてしまうのかもしれません。

根性をここぞという場面まで、貯めておいて、いざというときに、フルで出す。

と言いきった大学生もいましたから。
根性物語が流行らないわけです。
根性はある、根性無しではないけれど、いかにも根性ありますが前面に出ると、周囲は引いてしまう、、。

企業としては、従業員、社員の教育に四苦八苦ですね。
考え方の基本が変化してきているのですから。

🌻🌻🌻

気温のアップダウンの激しい4月、5月でしたが、

木々の花の美しい時期も変化してきています。そばにあって安心していると、ついキレイに咲いた時期を逃してしまいます。

掠れてしまった藤でした。