語彙は、知ってりゃいいってもんじゃない。
JR佐賀駅の、この掲示が少しバズっておりましたが、
「慫慂(しょうよう)」という言葉は、
一般的な日本人は、知らないよなぁ。
(慫慂(しょうよう)…そうするように誘って、しきりに勧めること。)
語彙に関しては、
語彙の量より、
語彙の質(使いこなす力)の方が、
どっちかっていうと、大事な気がします。
「私が今から使うこの言葉は、私が今から伝えたい相手が知っている語彙か?」
ということを、把握する力。
個人的に、「普通の人が知らない言葉を知っているオレすごいだろ」的に小難しい言葉を使う人を
バカかこの人
と思う悪癖が私にありまして、(わかりやすさ至上主義の人なので、「わかりやすさ」よりも「自分が頭よく見られること」を優先させる人を見るとバカなのかなって思っちゃう)(「齟齬(そご)」のように、「難しい語彙だけど、どうしてもその言葉でなければ表現できないニュアンス」のある言葉を使うのはこの限りではないです)
「慫慂」にちょっとひっかかったのですが、(他の言葉でいくらでも言い換え可能な上に、「慫慂」自体普通知らんやろ、な語彙だったので、余計ひっかかりました)
本筋として、
「旅行」で売上を上げて成り立っている旅客業のJR佐賀駅が、
「旅行を控えることを強く勧めます」
と書かざるをえなかった佐賀駅の苦しい胸の内は深く理解いたします。
(「慫慂」使わなかったら、佐賀駅の本意じゃない方向でメッセージが伝わることなかったのになぁ。もったいない)(バズらせることが目的であれば大成功だけど)
語彙は量より質。
「相手に伝わる語彙か?」を判断できる力超大事。