学校で教えることができない「古事記」
日本は
戦後のいろいろなことがあり、
現在、学校で「古事記」「日本書紀」を教えることがかなり難しいのですが、
とはいえ、
「古事記」を原文で読むようになって、
あ、これは(GHQとか色んなもの置いておいても)学校で教えられないや。
と思うようになりました。
たとえば、「天岩戸」の、以下のくだり、
天宇受売命(あめのうずめのみこと)、天の香山の天の日影を手次(たすき)に繋けて、天の真拆(まさき)をかづらとして、天の香山の小竹葉(ささば)を手草(たぐさ)に結ひて、天の石屋戸にうけ伏せて蹈みとどろこし、神懸(かむがかり)りして、胸乳(むなち)をかき出で裳緒(もすそ)をほとに忍(お)し垂れき。ここに高天の原どよみて、八百万の神共に咲(わら)ひき。
(訳)
アメノウズメノミコトがヒカゲカズラをたすきがけにし、マサキカズラを髪に飾り、手には天の香具山の笹の葉を束ねて持ち、桶を伏せてその上に立って踊りだし、だんだん神がかりになって、胸をはだけ、陰部が見えるほど腰ひもを下に押し下げると、八百万の神がどっと笑った。
この文をですね。
思春期真っ只中の高校生に古文の授業で教えようとしたら、
間違いなく教室はざわめき、
「先生。今の現代語訳、よく聞こえなかったので、もう一回言っていただけますか?」
という嫌がらせ行為をしてくる男子生徒が出没しそうな気がするし、
PTAから、
「先生!うちの子の古文のノートに、卑猥な言葉が書かれてるんですが、いったいどういう教育をなさっているのですか!」
って叱られそうな気がするし、
私は私で、
文句は私じゃなくて、
稗田阿礼と太安万侶に言ってよね。
とか心の中で言いながら「すみませんでした」と頭を下げるのだろうし、
カオス。
無理無理。
「古事記」は大人になってから。(原文は)
とはいえ、「古事記」読むと、
古代の日本人にとって「性」って、
あっけらかんとオープンだったんだなぁ、
という印象です。
そして、初登場からすっぽんぽんのアマノウズメ様、強い。
これ、「隠すもの」が何もないってことで、
自分の弱いところも醜いところもさらして、それでも笑って立っていられる人。
逆説的だけど、強くないと、弱いところさらせないんだよなぁ。
対照的なのがアマテラスで、
しょっぱなから武装してるし、
誓約で負けるとスサノオの乱暴、見て見ぬふりするし、
ストレスため込み過ぎて岩戸隠れしちゃうし。
すっぽんぽんのアマノウズメ様が、
ガチガチのアマテラスひっぱりだす契機となったの、
そりゃそうだよなぁ、という印象です。
弱いところをさらして、
それでも笑っていられるだけの強さ、
身に着けたいな、と思います。