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きこえない人のための声楽講座
音楽スタジオに華やかな赤いドレスで登場して、場を沸かせた声楽家の平井さやかさん。
きこえない人のための声楽講座、ついに実現。
ピアノの生演奏、手話通訳つき!
ソプラノ(女声の高い音域)の歌を間近に鑑賞して、どのようにして声を出すのか、オペラとはどういうものなのか、見どころは何なのかきいてみようというもの。
平井さんは私が大道具作りで関わっていた芸術大学ミュージカルグループの同窓生。
それまで私には縁がないと思っていた音楽を専門的に学ぶ仲間達と一緒に舞台を創り上げた経験は、私の音楽観を大きく変えてくれるものだった。
人生初のカラオケに連れて行ってくれたのは、このときの仲間達だった。
二年前から試みているきこえない人のための音楽講座に、音楽活動をしている方をお招きできないかと考えて昨年の秋、ミュージカルグループ同窓生のSNSに書き込んでみた。
真っ先に手を挙げてくださった平井さん。
普段は声楽教室や学校公演などで活動をしていて、きこえない人を対象に音楽について話すのは初めてだとのこと。
何度もやり取りをして互いのイメージをすり合わせ、視覚的な伝達の工夫や情報量の加減を相談しながら計画してきた。
ミュージカルは自分も関わっていたため、興味を持って何度か観に行ったことがある。
エンターテイメント性が強く、ダンスの構成など視覚的に親しみやすいものだと感じていた。
一方、オペラは「ほとんど歌だから高いお金を払って観に行ってもきこえないし、わからないだろう。」となんとなく思ってしまっていた。
それでオペラの基本的な知識に触れようとすることもなかった。
平井さんからいただいた資料をもとにスライドを作ることにして、オペラの登場人物の図解を描くために、物語や時代背景を調べてみた。
美術や歴史分野など、学生時代に習ったことが甦ってきた。
そうして迎えたこの日。
参加者、14名。
音楽の中田先生に手話通訳をしていただき、講座の前半は発声方法の説明。
それからオペラの成り立ちや有名な演目「ジャンニ・スキッキ」の解説、この演目で歌われるアリア(オペラの中で、一人で歌われる曲)「私のお父さん」の実演。
後半は、作曲家マスカーニによる歌曲「アヴェ・マリア」の実演。
感想・質疑応答タイムを長めに取り、 石川啄木が作詞をした歌「初恋」の実演で終了。
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自然で美しい立ち姿勢を保つこと、体操で全身を動かして胸郭を広げること、横隔膜を活発に動かして呼吸することを実演しながら説明していただいた。
「息を吸う時は、鼻腔の空間を確保するために頬骨から眉間を上げ、しっかりと息を入れている。」
「次に息を吐く時は、丹田(へその下指3本分の場所)から眉間にかけて息を送る。」
「眉間の先に針の穴をイメージし、そこに息を通すように息と声を合わせている。」
呼吸する平井さんの背中に触れさせていただき、肺がふくらんで強度が増すのを直に感じ取ることができた。
発声器官、呼吸の仕組みや、それらのコントロールのために身体をどう使うのかの説明であったが、「声の出し方」というよりも、「身体の動かし方」として印象に残った。
簡単な体操でも、呼吸や発声がしやすくなるだけでなく、歩くときのバランスがよくなるなどの効果があるとのこと。
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平井さんの唇に風船をあてて低音と高音を発声していただき、一人ずつ風船に触れた。
補聴器をつけてきくと、高音のときは耳の中で下から上に突き上げるような刺激が感じられた。
補聴器を切って耳にまったく音が伝わらない状態にしても、風船の響きから明らかな違いを感じ取ることができた。
高音を出すときは時計の2時の針の方向に身体を傾けることが多いので、姿勢を前に傾けるのを見て、今は高音だと視覚的に伝わる部分もあるのではないかとのこと。
「目的を持った音色が存在しているかを意識して、表情や声の大きさを調整する。」
「悲しい感情を表そうとしたとき、にこやかに歌っても伝わらない。」
「声をどう出そうか、どうしたら喜んでもらえるのかと考え込んでしまうが、自然な発声を目指すべきである。」
という説明には、手話表現との共通性を感じた。
次に、大掛かりな舞台美術の写真や図解スライドを示しながらオペラの解説。
オペラの発祥はイタリアの花の都、フィレンツェ。
美術史でもお馴染みの「メディチ家」が潤沢な資金を出し、音楽家や美術家を集めてオペラを創り始めたのが1600年ごろのこと。
ギリシャ神話などをわかりやすく伝えようとして、ダンテの新曲などに音楽をつけていた。
それからオーストリア、ドイツ、フランスに広がり、アメリカに伝わってミュージカルへ展開した。
なお、イタリアでオペラが発祥したころ、日本では出雲阿国が出現して歌舞伎の原点となった。
最初のオペラは高尚で真面目な「オペラ・セリア」、その後、滑稽な喜劇「オペラ・ブッファ」が出現。
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演目「ジャンニ・スキッキ」は中世のフィレンツェが舞台で、富豪の遺産相続をめぐる強欲な人間たちの騒動と若いカップルの恋をテンポよく描いた喜劇。
富豪ブオーゾの遺産を相続したい親族から頼まれた主人公スキッキは、ブオーゾになりすまして遺言書を書き換え、まんまとせしめてしまう。
スキッキの娘が父親におねだりする言葉が織り込まれた歌「私のお父さん」、そしてキリスト教の讃美歌でもある「アヴェ・マリア」はイタリア語で歌われる。
ピアノの生演奏の前で歌う音声は、日常生活の中で補聴器できいている音をはるかに超えた強い刺激として伝わってきた。
表情の変化や全身の動きからも情熱的な雰囲気が伝わってくる。
イタリア語の歌詞字幕(その下には日本語訳の字幕)を指し示す中田先生の身体も、リズムに合わせて揺れていた。
補聴器を切って、響きを全身で受け止めてみようと床に座ってみたりもした。
参加者の皆さんのきこえ方は様々で、金属や風船に触れてみたり、仰向けになって目をつぶってみたりするなど、それぞれの感じ方を試みていた。
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感想・質疑応答タイムにはほとんどの方が手を挙げた。
〇きこえないので、声種は何が違うのかがわからない。有名な声楽家は、何がすごいのか?
〇様々な声種は誰でも出そうと思えば出せるのか?生まれつきの身体の造りによるものなのか、鍛錬によるものなのか?
〇小説で舌先を切って声種を変えようとする話を読んだことがあるが、身体改造による声種変更は可能なのか?
〇オペラとオペレッタの違いは何か?
〇オペラはいろんな外国語で歌われるのか?
〇オペラを生で観てみたいが、字幕付きはあるのか?
〇歌っている間の呼吸はどうするのか?
〇普段の話し方と、歌う時の声は違うのか?
〇声帯は使わないと声を出しにくくなるというが、トレーニングで回復させることはできるのか?
〇体調管理で心がけていることは?
等、多くの質問があった。
もともとの素質もあるが、訓練により声質を変えることは可能であること、
日本語字幕を用意しているオペラがあること、
子育てのため10年ほど歌うことができず、体操などのトレーニングをして歌えるようになったこと、
風邪を引かないよう喉を大切にしていること
などお答えいただいた。
終わった後、
「日頃考えもしなかった質問。自分が当たり前だと思っていたことが、相手にとっては当たり前ではない。必死で頭の引き出しを開けまくりでお答えした。」
「普段当たり前のように演奏していたことを、不思議に思ったり根本はどうなっているのかと思ったりしながら感じてくださっていることがわかり、表現の方法や舞台そのものの価値を考えさせられた。」
と語る平井さん。
参加者の皆さんからは
「こういう機会がなければ、一生オペラに間近に接することはなかったかもしれない。」
「オペラを生で、しかも、間近できいたのは初めて。鳥肌が立った。」
「発声方法の話は、自分の発声のヒントになった。」
「高嶺の花の存在だったのが身近に感じられた。」
「自分の結婚式での友人の歌や、旅先で訪れたオペラ座を思い出して懐かしく、平井先生の透き通るソプラノに涙が出て感動した。」
「声楽家や音楽家、ピアニストや小さな楽団でも交流できたら嬉しい。聴く事を諦めず、耳と心、身体から音楽を感じて感動したい。」
「生活で色々と心がけてることなど、ためになる色々なお話が聞けて良かった。顔や身体の表情が豊かで、楽しかった。」
等の感想を寄せていただいた。
平井さんのオペラを観たい、聴覚支援学校でもこのワークショップをしてほしいという要望に、次の可能性を感じた。
終わって着替えた平井さんは、激しい運動をした後のようだった。
一日の公演後、体重が1.5キロ減ることもあるそう。
まさに「身体が楽器」の声楽。
今回、きこえない人やきこえにくい人にオペラを伝えるという、初めての試みには、前夜眠れないくらい緊張したとのこと。
全身を使って丁寧に伝えてくださった平井さんに感謝。
そして、主に手話通訳をしてくださった中田先生、ピアノ伴奏や要点を書くサポートをしてくださった音楽関係の友人に感謝。
人生が豊かになるのを感じられた、素敵なひとときだった。
3回連続音楽講座の最後は音楽座談会を企画している。
対象はきこえない方、そして音楽に関わるきこえる方。
今まで実施した音楽講座では、毎回多くの質問や感想が出てきた。
その際に話し足りなかったことや音楽への思いを語り合ったり、様々な疑問を出し合ったり、音楽教員に質問したりして、自分の音楽の世界を広げる場をつくりたい。
皆さんのご参加をお待ちしております!
2025年2月22日(土) 13:30~15:30
場所 大阪市立総合生涯学習センター(大阪駅前第二ビル 5階)
申し込みはこちら↓