結局答えは出てない。


将来○○がしたい。
○○な事業を作りたい。
この、「○○」を探し、自分なりに答えを導き出すことが、就活なのかもしれないと思い始めてきた今日このごろ。しかし、この、「○○」探し、疲れる。でもきっと、いつかは納得感を持てる答えを見つけることができると、心のどこかでは信じている。

尊敬する方の一人、Abeさんから教わったこと。

「由奈さ、To doじゃなくて、To beで考えなよ。」

この言葉に救われた。
「あ、“やりたいこと“じゃなくて、”ありたい姿“でいいんだ。」
それならポンポン浮かんでくる。
幼き頃から好奇心旺盛で影響力を受けやすい私は、ロールモデルが何人もいるので☆

20秒考えて思いつくだけでも8人。自分に自信がなさすぎだとでも言われそうなほど、いろんな個性に惹かれ、憧れる私。

話を戻して、To Be について考えてみる。単純に、どんな状態でいたいか。

その1:死に際になんて言いたいか?

「やりきったー!!」と思いたい。
極めて普通。たしか母も同じこと言っていた気がする。
もっと深掘ると、人としてでも、組織としてでもいいから、この世になにかを残すことで、その達成感を得られるのかなと思う。


さらに、To Beを考える際は、やっぱりサッカーは外せない。
サッカー人生で、どういったときに幸せに感じてきたのか。みたいな切口で考えてみる。

その2:熱中していたい

サッカーをしている時間は、本当に楽しい。熱中しているからだ。
2度と同じ場面は繰り返されない、多様で連続する一瞬一瞬において、ZONEに入ったような感覚で自分の体と頭を動かし続けながら、仲間と思考を合わせる。サッカーにおいて正解はなく、判断の種類は仲間や相手によって如何様にも形を変える。(ものすごいサッカーを知っている専門家あるいはプロのような表現をしているが、ようは、頭と体をフル回転させて、一生懸命、仲間と一緒に一つボールを繋いでゴールを目指すのが、楽しい)
また、これまでは、お金を稼ぐためにアルバイトをしていたし、就活も、親からの自律や自分で生きていくためのお金を稼ぐ手段として捉えているけれど、心のなかでは、「どうせなら、楽しいことをしていて、それでお金をもらえる人生だったら幸せだよな」というのが本音である。
この気持ちは大切にしたいのだが、就活をしていて気づいたことがある。私はその「幸せ」が、人や会社から与えられるものだと勘違いしているようだ。「好きなことをして、お金をもらう」って、ちゃんと能動的な意味で捉えないといけないよな。その手段として、仕事や、サッカーがあるんだという風に考えないと。

その3:自分にしかできないことをしてみたい

人と違う自分でいたい、というわけではない。孤独になりたい、というわけでもない。一匹狼でいたい、というわけでも毛頭ない。ただ、自分が楽しいと思い続けられる事をしていたいし、それが、他人からの評価を基準にしていたくはない、ということだ。どうせ1度きりの人生なら、自分にしかできないことが、何かしらあると思うし、それをやり続けた結果、誰かの背中を押せていたり、誰かに良い影響を与えられたりできたら、そんな幸せなことはないよな。と思う。
さらに、いつかのセミナーで出会った、会社員の人の、
「これ、俺がやる意味あるん?っていう仕事をしています」っていう言葉
が忘れられないんです。こういう思い、したくないなって思うんです。


そして、冒頭の自分の思いに立ち返ってみる。
「きっと、いつかは納得感を持てる答えを見つけることができると、心のどこかでは信じている。」
いやいやそうじゃないよ。と。
納得感を持てる答え探しじゃなくて、納得するために、「腹をくくる」覚悟が無いんですよ。と。

やると決めたら投げ出さない性分だし、両親の影響で自分の決断には責任を持って全うすることは私のモットーだ。必要なのは、覚悟だけ。うだうだしてないで、一歩踏み出しなさいよ、自分。留学反対派で一度ガチ喧嘩した父も、渡米した後はずっとLINEで、「頑張ってきてな。やりきりなさい、自分の道なんだから」と言ってくれる。また「お前さんがそう思うなら、そうしろよ。」という、高校時代の恩師の口癖も思い出す。シンプルでとても好きな言葉。覚悟さえ持ってみれば、意外と道って拓けているのかもしれない。

その4:覚悟を持ってみる


最後に、ここまでTo Beについて考えてみたけれど、読み返してみて結構自分、欲あるじゃん、野心的じゃん。なんて思ったりした。
ONE OK ROCKのRenegades聞いてるからかもしれない。彼らみたいに、4人という小さな個体でも、世界にファンを作って、彼らの歌で多くの人を元気にできる、そんな人生、かっこいいよな・・・

今日もホットコーヒーは完全にアイスった。


いいなと思ったら応援しよう!