~サッカー編~ その⑤ 言霊-Power Of Words-

サッカー編は終えて、環境編に突入した矢先のこと、急に今回のテーマである、監督からもらった言葉のことについて書きたいと思い、環境編を一時中断して、サッカー編の続き(番外編)を投稿することにしました。

日本では、言霊と呼ばれるように、人が発した言葉には、その人の魂・想いが宿るとよく言われています。これを英語では、The Power of wordsと表現するらしいので、サブタイトルに付け加えてみました。(なんか歌っぽい。)

では、サッカー編のつづき、スタートです。

1.チームからの信頼・コーチからの期待

2月に始まるシーズンを前に、私達は練習・筋トレ・練習試合をして調整していきました。走りの強度が高く、筋肉系の怪我をしてしまう選手が何人も出てしまいましたが、その追い込みの期間を1日ずつ乗り越えていくことは、私の中で小さな達成感を積み上げていく感覚になり、結果として自信にも繋がりました。
シーズン直前の練習試合ではアシストをしたり、沢山走ったりして、久しぶりの実践をとことん楽しみました。(実は、この練習試合を、公式戦の初戦だと勘違いして臨んでいました。)
大学4年間は、ずっとメンバー外でしたから、試合に出られること、チームに欠かせない存在の選手になることが、とにかく難しく、歯がゆく、届きそうで実は全然届かないようなものだと思っていた私にとって、アメリカでコーチやチームメイトから


「You’re amazing, You’re good player」


と言ってくれることが何度もあり、それが新鮮で、心から嬉しかったです。
(サッカー編その①でも書きましたが、「自分が輝ける場所は、あるんだ」と思えました)
さらに、日本にいたときと、アメリカでの立場が違いすぎたために、自分が認めてもらえていることに対して、
「自分は全然うまいわけではないのに、そんな自分がこんな立場に立っていて良いのかな」と、変な「違和感」を感じつつも、シーズンへの意気込みは高まっていきました。

2.好調な駆け出しからの、急ブレーキ

1月のプレシーズン(主に走り込み)を乗り越え、いよいよシーズンが始まる2月に入ろうとした時、チームが活動停止になりました。
理由は、チーム内に、コロナの感染者が出たためです。
私達は寮や自宅での自粛期間を過ごすことになり、それが約1ヶ月続きました。
せっかく積み上げた走り込みのフィジカルや、少しずつわかってきたチームメイトの特徴や、コンビネーションなどが、この期間でまた振り出しに戻ってしまうような気がして、落ち込みました。
こういう時、よく思うのは、
「1つ1つの積み上げは小さくて、それを継続するのも容易ではないのに、そうして積み上げたものは、簡単に崩れ落ちてしまう」
ということです。
“人の信頼”と同じ様に、たった一つの出来事で、それまで継続して積み上げてきたものが台無しになってしまう感覚は、なんとも悔しい気持ちになります。


「あんなに頑張ったのに」
「こんなに努力してきたのに」


そうやって、過去の努力が報われないことに対するやるせなさは、私の中にある挑戦する勇気や、リスタートする活力を薄めていきました。
そうして、チームは約1ヶ月の活動停止を終え、3月から再始動しました。
体作りをしながら、試合をしていく、というハードなスケジュールです。
私は訳あって、チームの再始動には間に合わず、シーズンの2試合目が終わった頃に合流しました。案の定、体は鈍っているように感じましたし、活動停止前よりも息が切れやすくなっていたことに悲しくなりましたが、無事に私も試合に出ることができました。
初めての試合ではなんと1ゴール1アシストと、好調な出だしを記録しました。
仲間やコーチが喜んでくれている姿を見ることや、日本にいる家族、たくさん助けてくれたホストファミリーにこの結果を報告できるのがとても嬉しく、サッカーやっていて良かったな、と思う瞬間の一つでした。
「次も。次も」と、欲が湧いてきました。
しかし、好調だったのは、出だしだけでした。
私はだんだん、チームに必要な存在から、チームをかき乱す存在になっていきます。

「もっと勝つためには、周りの判断力を上げないといけない。」
「このプレースピードでは、勝てない、もっと周りを引き上げないと」
「皆ボールしか見ていない。周りを見てプレーしなくちゃいけないのに」
チームが勝つのは嬉しいけれど、この先全国大会で戦っていくには、チームのレベルアップが必要だと、個人的に感じていた私は、練習や試合中にこういった事を考える時間が増え、
「とにかく自分が示さなきゃ。ミスもしてはいけない」
このように考えることも増えました。すると、だんだんと、ボールを持ちすぎる場面が目立つようになっていきます。次第に、監督から”Yuna, hurry up.”と言われることが増えました。(早くボールを離して、の意)

前述したように、私は、私自身が試合に出られていることが嬉しい反面、
私が試合に出ていることに違和感を持っていました。
「このままのチームレベルでは全国では絶対に勝てないだろう」
そう考えた私は、周りに対して色んなことを求めるようになっていきます。
「もっと早く動いてほしい」
「ボールだけじゃなくて、もっと周りを見てほしい」
「攻守の切り替えの速さが足りないな」
などと考えながらサッカーをしますから、顔はいつもしかめっ面。
更には、プレーがだんだん孤立してきて、チームが活動停止する前のような、仲間とのコンビネーションプレーができなくなっていました。
それでいて、自分がチームを勝たせたいという思いから、
「自分が点を決めればいい」
「自分が得点チャンスを作り出せばいい」
「そうやってチームを勝利に導くんだ」
と考えていたので、仲間を信用し、活かすプレーができなくなっていました。(パスを出せる場面で、出さない、など)
気づけば、試合には10分も出られない状態になっていました。
ベンチにいる時間が増え、チームの悪い点ばかりが目につきました。
なんで自分は出られないんだろう。
監督が私を起用するポジションが間違ってるんじゃないだろうか?
イライライライライライラ

そんな状態がしばらく続き、私は困っていました。
試合に出たい。私がチームを勝たせるんだ。こんなはずじゃない。
思いが募るのとは裏腹に、試合に使ってもらえません。どうすれば??


これを解決してくれたのは、監督の言葉でした。

3.当事者意識の空回り

シーズンの途中に、監督との個人ミーティングがありました。
ちょうど悩んでいた時期で、私は監督にある提案をしようと考えていた頃でした。
それは、ポジションの変更です。いままで、FWという、前線の選手として試合に出ていましたが、1段階下がったMFというポジションでチームを組み立てたいと伝えるつもりでした。

さて、このミーティングで私は何を言われたでしょうか?

監督「How’s your soccer so far?」サッカーはどう?
私「……… I don’t know, it’s not okey」わからない、あんまり良くない
監督「I can see that, you look facing difficulties these days…」わかるよ、最近のユウナは何かに悩んでいるみたい見える。

たしかこんな会話から始まった気がします。
監督には、私がふてくされている事にしっかり気づいていました。ツンとなる鼻をこらえながら、私は監督の話を聞きました。
昔から、うまく行かないことがあると泣いてしまう癖がある私。
この時も、サッカーでうまく行かないことに対して悔しくて、でもどうしたらいいのかわからなくて泣いてしまいそうでした。(必死にこらえました!きっと鼻の頭は真っ赤になっていたはず!)

そうして監督に、自分がなんで試合に出られないのかわからないことを伝え、アドバイスをもらおうとしました。そのときに監督から言われた言葉が、今でも心に残っています。

The last year, you were so amazing. You played simple, you looked so easy to play soccer. But now, when you are on the pitch, you seem different. I guess that you seem to try to make a big impact on the team by yourself. But I want you to play simple. Just play simple as before, that’s all.

Not trying to make a big difference, but just a tiny difference make big difference instead.

去年(チームが活動停止する前)のユウナは、素晴らしかった。シンプルにプレーしていたからね、すべてが簡単に見えたよ。しかし今は、私がユウナをピッチに入れると、「自分がチームに変化を与えなきゃ」と思ってプレーしているように伺える。そうすることで、普段はしないようなプレーをしてしまっている。でもそうではなくて、私が求めているのは、ユウナに大きなインパクトを与えてほしいんじゃなくて、ただ、いつもどおりのプレーでいいんだ。それが、チームに変化をもたらしていくから。


この言葉に気付かされたことは、
「自分のできることと、自分のやりたいことを混同させてはいけない」ということです。

自分が試合に出てやりたかったのは、
・得点すること
・チャンスメイクをすること
で、これにこだわってしまったために、本来監督やチームから評価されていたシンプルなプレーをすること(自分のできること)ができず、ボールを持ちすぎていたり、プレー判断が遅くなっていたりしました。
そりゃ、監督から
「Hurry up, Yuna!」とか言われますよね。
そりゃ、せっかく出られた試合も、すぐ交代しますよね。


もう少し言い換えてみると、例えばGKとして試合に出ているのに、試合に勝ちたいからって、前線に出ていたら、誰がゴール守るの?ってなりますよね。GKには、チームの最後尾でゴールを守るという、やるべきことがあるのに、それを放棄していたら、監督からしたら危なくて試合に出せません。

同じ様に、私は、自分のやりたいことと、チームや監督から求められている役割とを混同させてしまい、空回りしていたんだということに気づきました。

監督に言われるまで、私は、点を決めたり、チームの流れを変えたりといった、チームのヒーロー的な役割を、1人でやろうとしていたということに気づきませんでした。私の役割(できること)から目を背けて、ただ自分がやりたいように試合を組み立てようとしていたのです。

とても恥ずかしくなりました。
しかもそのくせに、試合に出られずベンチにいる間は、「なんで自分が出られないんだ」とふてくされ、チームを応援することもせずに、ただ試合を見ていました。
今思い出しても、恥ずかしく、悔しく、自分の未熟さを痛感した時間でした。
(その上、同時進行でしていたオンラインの就活では、「チームで仕事をしたいです。どんなチームが良いかというと、自分が苦しいときに、“チームのために”という思いで動くことができる人たちと、チームになって働きたいです」なんて言ってしまってます。ああ、ひどい。ひどすぎる)


4.New ME

その後、心を入れ替えて監督の指示をしっかり聞き、自分がチーム(11人)の1人としてどういう機能を果たしているのかを常に意識しながらサッカーをするようにしました。
すると、自然と出場時間は増えていきました。最終的にはほぼフル出場。
監督やコーチから、
“Yuna is back”と言ってもらえたのが、今でも心に残っています。

あのミーティングが私を変えてくれました。
このまま、頭でっかちで天狗の自分のままシーズンを終えてしまっていたら、この記事の内容も全く変わっていたでしょう。
(ちなみに、今現在も頭でっかちで天狗の可能性が無いわけでもないですが、少なくとも、あのミーティングの前までの自分では無いよ、という趣旨でこの表現をしておきます。)


さて、ここまで、私がアメリカで体感した、言葉の力について、書かせていただきました。
私はこれまで、誰かの行動に強く影響を受けてくることはありましたが、誰かの言葉によって、自分を見つめ直し、行動が変わってきた記憶がそんなにありません。
そんな中での今回、このような経験ができました。アメリカに行くと決意した大学4年時の自分に感謝しています。
そして、言語の壁なんかすっ飛ばして、言葉には人を変える力があることを、身を持って体験できたとともに、その言葉が、誰によって発せられるのかも、意外と大事なのかな、と思う、今日このごろです。

チームを離れる際に、監督にお手紙を書きました。あのミーティングで監督がくれた言葉が私を変えてくれ、今でも大切にしている、ということを伝えました。

サッカー編 その⑤ は以上です。See you next time😊

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