ラスアスやった後に天気の子を見て救われた
【注意】この記事には様々なゲームと映画のネタバレがあります
「今までプレイしてきたゲームのシナリオの中で、一番面白いものは何ですか?」と言われると、サムネのThe Last of Us(以下ラスアス)か、Red Dead Redemption2で悩む。
いーやWitcher3もおもろかったな。Ghost of Tsushima(以下ゴスツシ)も良かったし。かなり悩む。(新作出るらしいですね、ゴスツシ)
オープンワールドのゲームは、メインクエスト以外にもサブクエストで短編的なシナリオがある。ウィッチャー3とかゴスツシはサブクエストもかなり面白かった。
ウィッチャー3だと、「猫と狼が遊ぶ場所」と「ネズミの塔」はかなり良い。終わった後の、寂寥感というか、無力感というか、世界に打ちひしがれる感じ。(猫と狼は救われる選択肢もあるけど)
ウィッチャー3のサブクエストは後味の悪い終わり方が多い印象だがそれが癖になる。上記2つのクエストは、動画サイトにプレイ動画があるだろうから気になったら是非見てほしい。そんであわよくば、ゲームをプレイしてほしい。
ゴスツシだと今でも覚えているのは、「失いしもの」。2人のうち、どちらかしか助けられず、選ぶのはプレイヤー。しかも、後日談まであってそれの後味が悪いったらありゃしない。
少し話が逸れたが、純粋なメインのシナリオの完成度だけを見るならやっぱラスアスかなーと思う。何回やっても面白い、よく出来たシナリオだと思う。ラスアスはオープンワールドではないから、本筋の話に集中できるというのも大きい。
ラスアスのシナリオの何が好きって、やっぱ最後の展開なんだよね。ジョエルは自分のエゴで、エリーを助けるためにファイアフライの病院を殲滅し、助けたエリーに嘘をつく。
ラストシーンでエリーに「本当の事を言って」と言われたときも、かたくなに嘘を通した。そして最後のエリーの「わかった。」という一言、暗転、タイトル。最高でしょあれ。
あの終わり方だとThe Last of Usというタイトルにも、いろいろな意味を持たせられる。
エリーを救ったことによりワクチンが作れなくなり、アメリカのような文明社会を再建することはほぼ不可能になったため、The Last of US(United States)ということ。
あとは、ジョエルが嘘をつき通したことにより、失望したエリーはこれを「私たちの最後だ」と思ったというもの。
なんにせよ俺が思うのは、誰かを助けるために誰か(または何か)を犠牲にした場合、辛いのはそれを選択した人間と犠牲の上に助けられた人間の2人いるということ。
選択した人間は、覚悟を決めてからその事実に直面するだろうからまだいいとして、犠牲の上に助けられた人間は自分のあずかり知らぬ場所でそのことを決められ、生きていかなければならない。普通に生きている時もずっと肩にそいつ(または何か)が乗っかっている。
選択した人間、勝手に選ばれた人間の関係性には破滅しかないのか?とラスアスをした後、考えていた。そのすぐあと、天気の子を見ることになった。
本当にラスアスをプレイし終わったすぐだった気がする。その時は、「君の名は。」の後の作品だし、そこまで期待せずに行くかーなんて考えてみていたわけだが、この映画も誰かを助けるために、何かを犠牲にするシナリオだった。天気の子のあの終わり方、しみたぜ….。
ただ、俺は天気の子に救われた。それは、どちらを犠牲にするか選んだ帆高、勝手に選ばれた陽菜は「僕たちは大丈夫だ」という結論を出せたということ。
その時には、まだラスアス2が発売されてなかったから(多分)、俺はあのエリーのジョエルに行った「一生そのことは許せないと思う。でも…許したいとは思ってる」の言葉を聞いていなかった。幼いエリーの「わかった。」しか聞いていなかった。
選択した人間、勝手に選ばれた人間の関係はこうであっても良いんだと天気の子で知った。これを書いているとめっちゃまた天気の子を見たくなってきた。
正直、話の大筋とラストシーンしか覚えておらず、考察できるほど記憶がない。今度見直そうかと思う。あわよくば、天気の子単体の記事もかけたらいいな。