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作家の喜びは、書くという行為そのものにある。 

 タイトルは、サマセット・モーム作『月と六ペンス』の冒頭に書かれていた言葉だ。また続けて

ほかには、なにも期待してはいけない。称賛も批判も、成功も不成功も、気にしてはならない。

サマセット・モーム 『月と六ペンス』

とある。本屋で気になっていたこの作品を見つけた時に、冒頭の一区切りだけ読んでから買うか買わないか決めようと思った。そして上記の文章に出会った。(これに心をつかまれてすぐに買いに行った)

 作者がこのように考えた理由は、自分が過去の人間だと気付いたからだ。続々と出版される新刊にも、若い作家たちの作品にもちっとも興奮しない。

 だからと言って、自分はまだ終わっていないと思い込むのもむなしいだけ。なら、もう自分の好きなものだけ書いて、周りのことは気にせず、心の重荷を下ろすことだけに集中しようというはなしだ。

 割とマジにその通りなのだが、このインターネット大承認欲求時代、自分がどれだけの人に見られているのか、どれだけの人がいいねをしてくれているのかが正確にわかってしまう。すると、ちょっとみたくなっちまうんだよな。

 意味がないことはわかっているし、その数字が「自分の価値」を正確に示したものでないこともわかっているけれども、見てしまう。

 noteを始めてからよりその気持ちが分かるようになった。だからこの文章を読んだときは、「わかってるんだけど、どこかで納得もしないんだよな」と思った。

 だが、サマセットの言葉にもある、自分が過去の人間だなと思うことは最近あった。東京に家族と旅行しに行った時だ。東京は10年ぶりくらいだろうか。俺がまだ小さい時が最後だった。

 あの時は東京が楽しくて楽しくてしょうがなかった、だが今回の東京旅行はつまらなくはなかったが、さして楽しいわけでもなかった。感想は、「肌にあわない」だった。

 どこみてもすれた若者か観光客しかいねーし、物価もたけーし、人が多いから疲れる。どっかで休もうとして店を探しても馬鹿長い待ち時間。

 おいおい勘弁してくれよ。唯一楽しかったの、銀座駅にあるサッポロビールの立ち飲みのバーだけだったわ。俺は20代だから、世間からしたら若いんだろうけど、感性がじじいだから本当に疲れた。しばらく行きたくない。

 東京に俺の居場所はなかった。旅行中は、早く家けえって、本読んでゆっくりしてぇなとしか考えてなかった。サマセットの言っていた「新しい世代が、どかどかと席に座って、叫び声をあたりにまき散らしている」というのを俺も実感した。

 そのうち、彼が言うように「一切周りを気にせず、自分の楽しみのためだけに書く」ということが出来るようになるのか?と思う。きっと人は欲望から逃げることが出来ない。俺は弱い人間だからことさらだ。

 だけど、noteを始めた理由は、ただ「書きたい」だった。サムネの幻影旅団でさえも、はじめはただ欲しかったわけだ。この初心を忘れず、日々書き続けよう。そのうち、サマセットの言葉も納得できるかもしれないし、新たな考えが生まれるかもしれない。

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