短歌と自分、そして『えーえんとくちから』

はじめまして、志賀良介です。
はじめましてでない方もいらっしゃるかもしれませんが、好きなアーティストがどんな時でも「はじめまして!」と言ってから名乗っているのが好きなので真似させてもらっています。

今回は趣味のひとつである短歌について、というより、短歌を趣味にしている自分について書こうと思います。間違っても現代短歌論などではありませんし、流し読みでも大丈夫な感じです。


初回の投稿でも少し書きましたが(読まなくても今回読むにあたっての問題はありません)、半年程前に短歌を始めました。

始めようと思ったきっかけはたぶん、異様に昂っていたかもしくは落ち込んでいた時、「文学的表現に落とし込むことで、こんな感情でもなんかそれっぽくて美しい雰囲気にできるかも!」と考えたから、だと思います。本当にそれだけです。

逆を言えば、こんな動機でも創作活動は始められるということですよね。実際の結果や数字としてはまだまだですし、技術がぐんぐん上がり続けているわけでもありませんが、それ以上に楽しい気持ちでやれていますし。
これからも、俺が自由にやることで創作活動におけるハードルを下げ続けておきます。なので文芸に限らず、なにかしらの創作・表現をしてみたいけど勇気が出ない……という方は、軽い部分の気持ちを大切に、とりあえずでやりたいことをやってみるのもいいかもしれないですよ。


そんなゆるい理由のまま、とりま!で始めたわけではありますが、短歌に触れたこと自体は前にもあったんですね。
少なくとも始める一、二年は前でしょうか、理由は忘れましたが(おそらく気分)、ずっと気になっていた笹井宏之さんの歌集『えーえんとくちから』をある日手に入れまして。短歌についてなんの知識もないまま開いたのですが、衝撃を受けました。

気軽な気持ちで覗いたそこは、俺が今まで触れてきたどんな表現よりも「生活」だったのです。

人間が毎日感情を動かしたり動かされたりすること、当たり前に風景に馴染んだり逆に見つめ直してみたりすること、そうして生きていく中には世界があって、地も空も海も木も建物も風も雨も犬も猫も夢も時間も、全てが常に人間とともにあり続けること。

全部大好きだけどはっきり見ることも掴むこともできなくて、あくまで概念として愛してきたそれらが『えーえんとくちから』を通して、(完璧に理解できたわけではありませんが)いくらかの色や形を持って、でもひどく柔らかいまま、俺の手の中にあったのです。
元々本を読むのも歌詞を味わうのも好きでしたが、まだ体験したことのなかった美しさに触れたことで、言葉を扱うことへの気持ちがより強くなったと思っています。
もしかすると、そのおかげで、狂いそうな時にこの感情を表現に落とし込もうなんて思いつけたり、このように鬼の自語りnoteを始められたりしたのかもしれませんね。


言葉の力を実感する・自分の言葉の使い方を考えることになる機会はそれぞれいつか訪れるのでしょうが、俺にとってそれは『えーえんとくちから』と出会ったタイミングでした。今でも大好きな作品です。(ただの布教ですが、皆様もよければ手に取ってみてください)

なので自分の短歌も、気軽にやってるんだ🎶とは言いつつも、あのレベルの美しさを表現できる人間になりたいとは思いながら続けております。まだ初心者ですので、とりあえず数を作りながら考える!の精神です。
基本音楽にしても文章にしてもリズム感のない人間ですしついつい自分のことばかり書いてしまいますが、人が好きで、音楽が好きで、生活が好きで、世界が好きなので、その質感や美しさをたくさん表現したいですね。

普段はXにてスーパー細々と発表しておりますが、ここにも気が向いた頃・いくつか溜まった頃に載せていこうと思っています。お手柔らかに。
特に短歌知識のある方、薄目で見てください。


初回に続き結局鬼の自語りでしたが、いつかは、さっき6袋買ってきた無印良品のビスケットの良さだけで2000字は書けるくらいになれるよう精進いたします。くまさん型のもおさかな型のもどっちも美味しいですよ。

読んでくださったあなた、ありがとうございました。良いことがありますように。
またここでお会いできれば幸いです。

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