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見えないものの大切さと難しさと。
明けましておめでとうございます。
縁の木主人の白羽です。
今年もよろしくお願いいたします。
友人の勧めで、これまでFacebookにつぶやいてきたよしなしごとをnoteに綴ることにしました。
縁の木、という社名は、「縁」という見えないものを大切にして、大きな木へ、林へ、森へとはぐくみ、1人ではできない花や実りを産み出したい、と考えて名付けました。
開店してから6年間、お客様、原産国、福祉作業所をはじめ、たくさんのつながりが産まれました。これからも「見えないつながり」を大切にしていきたい気持ちは変わらず1番にしていきたい、と考えています。
一方で。
昨年、「開けられたパンドラの箱」という書籍を繰り返し読みました。一昨年、津久井やまゆり園で、「心失者(意思疎通できない障害者)は生きている価値はない」として殺傷事件を起こした植松被告に対する取材ノートをまとめたものです。
この事件は縁の木の仕事のあり方、考え方を変える1つのきっかけになりました。縁の木が大きく育つ前から、障害者の就労の役には立てないものか、と、発達障害者の施設外就労訓練の受け入れを始めました。
植松被告の意見に理解を示す一定量あったことで、「ネットが大きな力になって、社会のタブーや矛盾が言語化されると、大きなうねりになる」可能性を再認識したのです。
大きなうねりは良い方にも、悪い方にも起きます。そして、その良し悪しもそれぞれの心の中に物差しがあります。
「見えないもの」が言葉になる時、形になる時、表現のされ方によってそれは別の意味を持つこと。
そして、その表現に多様性がなければ、一方的な渦を巻き起こすこと。
それを再認識しました。
コップ半分の水を、「半分しかない」と見るか、「半分もある」と見るか。
障害者のできないことを見出すか、できることを見出すか。
障害者が社会で果たす役割、単に「世話をしてやる」だけではない社会の仕組みをどう作るのか。
縁の木の小さな店内だけではなく、見える形でどう作っていくのか。
植松被告に理解を示す意見を批判したり戦うのではなく、多様な新しい意見を、解を、形にしていきたいのです。
今年はそんなことを意識しながら、更に縁の木を、私自身を動かしていきたい、と考えています。
みなさま、本年もよろしくお願いいたします。