「発達障害が世界を変える!」 vol.30
サイハテ村の子供たちは、自由な環境でのびのびと暮らしています。それは大人の都合や頭ごなしに怒ったりしない大人がいないから、と言いたい所ですが、そんなできた大人がいるわけではなく、子供たちの表現を尊重するという文化があるからだと思います。
なので、サイハテキッズたちは小学校に通っている時、机にじっとしていられなかったり、おしゃべりが多かったりと、自由過ぎて先生から良く注意されるようです。
先生たちからしたら生徒ひとり一人に対して公平に向き合わなければいけないので、個性の強い生徒に時間が取られ過ぎることは色々と困るそうです。そんな時、最近よく聞かれるのが〝発達障害〟という概念です。
学校としても発達障害の診断が認められたら〝特別扱い〟できると言うのです。実際、サイハテ村の子供も発達障害の診断を受けた子もいます。ただ、僕らからすると正直で正義感が強く、芯のある元気の良い子供でしかない。
発達障害の概要には「生まれつき脳の発達に障害があることの総称。自閉症や多動性障害、学習障害やチック障害などに分類される。」とあるので、当てはめるなら多動性障害かもしれませんが、もしかしたらそれが病気や障害ではなく、彼の個性であり、自分らしさな場合もあるかもしれないと思うのです。
そこで僕は発達障害について調べていくうちにある驚くべき事実を知ることになりました。それは、発達障害ではない人々のことを〝定型発達〟と呼ぶということです。
日本が持つ常識や学校という枠組みの中で成⻑してきた僕的には、〝定型発達〟と呼ばれること自体、あまり良い気分になれないのですが、ということは逆に、定型に収まらない人はただの定形〝外〟発達と呼べば良いじゃないか、と思うのです。
しっかり学校に通ったのに大人になって就職もせず、村づくりをやっている僕なんかは定型発達からの定形外発達だなとか思ったりするのですが、実際、校則や規律の厳しい日本は海外に比べて、発達障害の割合はダントツ1位!さらにこの十数年の間に発達障害と診断される子どもの数が大幅に増加しているのです。校則やルールでガチガチに固められてる日本では発達障害と認定される理由も納得できます。
つまりは、古い常識や枠組みを続けていく限り、新しいものを生み出す素質を持った子どもたちは、定形発達というレッテルをバンバン貼られ、自分らしさを発揮できないままになってしまうのです。
それに、障がいとは当事者本人の問題ではなく、そもそも常識や既存の枠組みでは不自由さを感じる人がいるということが障がいなわけです。つまり、障害を感じさせてしまう社会システム側に障がいがあるのです。
解決すべきは社会の方って事です。個性の強い子を特別使いすることではなくて、どんな個性の子でも不自由さを感じない枠組みに変えることが課題であり、定型なんて概念そのものが無くなれば解決するのではと思うのです。
そう思うと、サイハテ村は定型に収まりきらない〝定形外発達〟の人たちばかりなのでしょう。だから古い常識や概念が壊され未来を感じる瞬間がサイハテ村には沢山あるわけです。
例えばこんな事がありました、サイハテ村の子供たちを連れて港に隣接する公園に連れて行った時の話しです。年上のお兄ちゃんたちは魚釣りをしたいとの要望があり、お父さんが釣り針に餌をつけていたのですが、じっとしていられない6歳の子どもが自転車に夢中になり「危ないから近づくな!」という警告を3分で忘れ、お父さんの横を駆け抜けました。
そして、心配していた通り自転車に糸が引っかかり、勢いよくお父さんが釣られてしまったのです。 お父さんは警告を無視された事、針が刺さった痛みとでカッとなり「ふざけんじゃねー!!」と叫びました。すると6歳の子どもは大声で怒鳴られた事に一瞬驚くも、
「おれ、いつも本気だし!!お父さんこそ本気だせよ!!」
と返され「ぐう ...。」となった事がありました。ぐうの音も出ないとは言いますが、リアルにぐうの音を聞けた事に感動しつつ、サイハテ村の子供たちに未来を感じたのでした。
次回は、vol.31「自由とは荒波に船を出す事である」です。フォロー、スキ、シェアしていただけると励みになります!^ ^
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