恋愛と自己価値には、深い関係性があった話。
あなたは
「自分に価値がある」と思えますか?
わたしは内観を始めてから
何回も「無価値感」が根幹にあり
向き合ってきました。
【何もしない自分には価値がない】
何かしてないと自分には価値がないから
休もうと思っても休めない。
自分に価値を持たせるために
無理やり頑張って心が辛くなる。
とにかく、何かやっていないと
落ち着かなくて。
休むことに対する罪悪感もすごかった。
「あ、これは無価値感を持っているからだ」
と、気づいたけれども
自分に価値をつけることをやめられなかった。
正確に言うと、
「価値をつけることをやめた」
と思い込んでいた。
根深い思い込みって
気づいてからもなかなか外せなくて
自分にとってその思い込みは
必要だからまだ持っているのだと思う。
無意識に、価値を探しにいっていた。
全然ヤメラレナイ。
ヤメタイノニヤメラレナイ。
全然自分のことを満たせなくて
いろんな角度から掘り下げをして
たくさん不要な思い込みを外してきた。
家族関係のことが大半で
わたしは親の人生を生きていた
のだと、わかっている。
徐々に軽くなってきたし、
前よりもずっと生きやすくなった!!
なのに、
どうしても満たされていない感じがする。
それが、「恋愛」で顕著に出るのだ。
好きな人に何かしてもらっていても
「わたしは何も返せていないんじゃないか?」
という不安になってしまう。
受け取れば受け取るほどに
感謝の気持ちよりも
罪悪感を感じてしまっていた。
最初は「ただ一緒に楽しくいれればいい」
と思っているのに…
そうやって接しているのに…。
好きになればなるほどに
「わたしばかりが与えてもらっているのではないか」
と不安になってしまう。
段々、会えなくなってくると
不安が募ってきてしまって
ネガティブになる癖が抜けないのだ。
これがわたしにとって繰り返される事象で
一番直したいと思っているところだった。
「会えないと愛されていない」
「会えないのは自分が悪いんだ」
「会えないのは自分のせい」
「会う」ことへの執着が、
いつもわたしを苦しめる。
「会いたいと思っているのは、自分だけかもしれない」
「会いたいと思ってもらえない自分なんだ」
そうやって、自分ばかり責めてしまう。
「別にわたしが悪いわけではない」
「忙しいしタイミングの問題だ」
と、頭ではわかっているのに
心はそう思えないから苦しい。
恋愛での苦しみって
頭でわかっているのに
心ではそう思えないことだと思う。
頭では良い子になれるけど
心では良い子になれなくて
相手に求めてしまう。
「わたしの願いを聞いてほしい!」と。
逃げたって、
何回も繰り返されるから苦しい。
自覚しかなくて、余計に苦しかった。
相手に伝えたいし吐き出したい気持ちが
喉まで来ていたけど
今回は絶対に変わるんだ!と決めて
それはグッと抑えた。
これまでのわたしは
相手から逃げてフェードアウトするか
相手に伝えて重く思われるか
どちらかだった。
伝えて振られたときはかなり傷ついた。
これは自分の問題だとわかっている。
なのに、
原因がわからないから
もやもやするし余計に不安になる。
「わたしが重いからかもしれない」
「何がそうさせているのかわからない」
正直、いくら掘り下げて原因がわからない。
もう降参して、
素直に「わたしは何か返せていないんじゃないか?」とメッセージを送ろうとしたのだ。
もう自分に降参して
素直に思っていることを言ってみよう、と。
その時に急に、
母親に「役立たず!」と
言われたことを思い出した。
全く記憶になく
消えていた記憶を思い出した。
わたしは昔、
母に「役立たず」と言われたんだ。
わたしが何回も向き合ってきた
「無価値感」の根幹が出てきた。
「役立たず」なわたしには価値がない。
役に立たないと価値がなくて
わたしはココにいてはいけない。
わたしは親に必要とされていない。
ずっと、「消えたい」って思っていたのは
この言葉を言われたからなのかもしれない。
「わたしに価値をちょうだい」
「わたしに生きる意味をちょうだい」
「わたしに生きていいって言ってほしい」
ずっと満たされない原因がわかったんだ。
「わたしは生きていい」って思いたかったんだ!!
「生きていいよ」って言ってもらいたい。
「ココにいていいよ」って言ってもらいたい。
好きな人と会うことは
わたしにとって「存在している」ことを
実感できる時間だからかもしれない。
会えなくなると
必要とされていない恐怖を感じて
いつも不安になっていた。
好きな人に必要とされたくて
役に立たないといけないと思っていた。
「生きる価値」を与えてもらいたかったんだ。
「役に立たないと一緒にいれない」
そうやって、わたしは恋愛をしてきた。
自分が存在する意味を相手に求めていた。
それが恋愛で色濃く出てきたんだ。
好きな人を親に投影させていただけだった。
なんだか、自分の思っていることがわかって
すごく安心してホッとした。
すごく軽くなった。
「ただ一緒にいて楽しいから会いたい」
それだけで良いんだよねって思えた。
お互いが楽しく過ごせる時間にするために
「余裕がある時に会う」ことが
大切だと思えた。
それがお互いが自由な恋愛だよね。
わたしはそういう恋愛がしたいんだった。
「恋は盲目」っていうけれど
まさにその通りだと思う。笑
盲目ならないと
気づけないこともあるから
これで良かったんだ。
なんか、また大きい壁を超えたと思う。
前回の記事につながっている。
好きな人に会えなくて、
その思いを自分で受け止めたからこそ
根幹が思い出せたのかもしれない。
これも流れにのっている
ということかもしれない。
【前回の記事】はこちら↓
自分の対しての価値は
「誰」が決めているのか??
まだ、わたしは親に価値を求めて
生きていたんだとわかった。
生きることに意味はないけど、
生きるために意味を求めていた。
わたしは自分が生きるために
意味や価値を求め続けていたんだよね。
わたしにとって何もかもが
「自分が生きるため」に
なっていたんだと思う。
ただ、自分自身に対して
「生きる許可」を出してあげれば良かった。
そう思うけど、
体感がないとできないし
こうして腑に落とさないと
本当の意味で許可はできない。
生きることへの許可なんて
それすらいらないと思うのに。笑
今こうして生きていることが事実だから。
価値なんて求めなくったって
「今ココに生きている」
この記事を書いていて
「わたしは生きているんだなぁ」
ってしみじみと思っている😭
驚くくらいに軽々しい気持ちだなぁ✨