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自分の内に眠っている「寂しさ」との対話


「わたしは寂しい」


どうしようもなく寂しさを感じているのに
その寂しさに気づかないふりをして
いつも何かに、誰かに、
寂しさがわからないように
自分を隠しながら過ごしていた。



「わたしは寂しい」

「わたしは孤独だ」

「わたしは何かに縋りたい」

「この寂しさを感じたくない」

「寂しい気持ちから自分を守りたい」



最近になって
自分の内に眠っている
「寂しさ」の蓋がやっと開けられた。


「わかってほしい」という思いが
強くて苦しんできたけれど
寂しい自分をわかってほしかったんだ…。




「なぜか、いつも一人になる」
「自ら一人でいることを選択する」


自分の中に持っている
寂しさを感じたくないから
あえて、一人を選択してきたんだ。




こんなに簡単なことなのに・・・
こんなに自分と向き合っているのに
どうして気がつかないのだろう。


自分のことって
自分ではわからないくらい
深いところにある隠したいものが
自分自身なのだろう。



だから、
わたしはそれを「お宝」だと思っている。


自分で隠しているお宝を
自分で見つけるゲームをしている。


また一つ、お宝を見つけられたんだ💎




こんなに寂しかったのに
どうして自分の気持ちに
気づいてあげられなかったんだろう。



「寂しい」から何かに縋りたいのに
自分の寂しさを認められなくて
「自分でどうにかしなきゃ!」って
ずっと思っていたんだ。



もう、寂しさから何か依存したくなくて
失うことが怖くなってしまっていた。



パートナーに依存すれば
いつか失うことが怖くなる。


「失うくらいなら一人の方がいい」
って思っているから
寂しさを感じさせないくらい
強い自分になりたかった。



両親を失ってから
さらに加速したような気がする。


「どうせ、いなくなるじゃん」って。




寂しい気持ちを、
弱い自分を認められなかった。



これがわたしの恋愛パターンに
結びついているのだ、とわかった。


パートナーが欲しくても
「失う怖さ」が勝っているから
本当に欲しいものが手に入らない。



「どうせ自分は一人だ」

「失うくらいなら手に入らない方がいい」



わたしは、寂しさを感じたくなくて
そうなるように行動をしてきたんだよね。


「パートナーが欲しい」というのは
寂しさを感じさせないための
口実だったんだ。


自分の本心は
「失うなら欲しくない」


以前、好きだった彼女と別れてから
寂しさを埋めたくて
仕事と趣味に没頭していた。


だから、
本当は寂しい自分を見て見ぬふりして
失う恐怖を抱えていたことにも
気がつけなかった。


恋愛がうまくいかなくて
誰とも付き合えなかったのは
失う恐怖が勝っていたからだね…。


「寂しい」気持ちと向き合ってみたら
恋愛が上手くいかない理由が
結びついていたよ😔


寂しさを感じさせないようにする行動が
余計に寂しさを膨張させていった結果
なんだ。





母が亡くなってから
一度、寂しい気持ちを
泣いて吐き出したことがある。


両親がいなくなって
一人になったことへの寂しさが出たから。



でも、それだけじゃなかった。




わたしは幼い時から孤独感を感じていて
ずっと寂しかったんだ。


大切な人を失う前から
ずっと寂しさを持っていたんだね。



両親が高齢だからこそ、
「いつまでも親がいるわけではない」
「一人で生きれるようになって」
と言われてきて、
一人で生きれるように育てられた。

今なら、それは愛だとわかる。



だけど、
一人で生きる術を
身につければ身につけるほど
寂しさが増していった。


「わたしは一人で生きるために
これをしないといけない」



自分の頭の中には、
「自分は一人で生きる」という
信念があったことに気づいた。



集団の中にいると
余計に孤独感を感じるようになるから
集団の中にいたくない。


大勢の人がいるところに行くと感じるのは
孤独感と寂しさ。


それは子どもの頃よりも
大人になった今の方が強く感じる。



「わたしは寂しいの、気づいてよ」

って、自分からずっと言われていたんだよね。


自分の見たくないところが
自分の信念として持っているし、
自分のこれまでの行動や生き方に
繋がるものがある。


「信じて持っているもの」通りにしか
行動できないんだなぁとしみじみ感じる。



この蓋を開けられるのは
自分しかいない。


いくら他人の投稿を見たり配信を聞いたり
セッションを受けたからと言って
自分事に置き換えられないと
本当の宝には辿り着けないよ。


ひとつずつ本心を受け止めた先に
大切に持っている信念に
辿り着けるんだ、とわかった。



やっと、
気づいて「寂しさ」の蓋を
開けられたところ。


蓋を開けてからは、
「この行動は寂しさを埋めるため」か。
と、思うようになった。


いくら他人や物や行為で埋めたとして
虚しさは埋められない。


それをわかっていると言って、
「自分でどうにかしなきゃ!」
と思うのも違う。


わたしは、
自分でどうにかしようとして
寂しさから逃げていただけだった。



ただ、「わたしは今、寂しい」と感じる。


「今、寂しいんだなぁ」って思うと
なんだかホッとするから
やっぱりただ気づいて欲しかったんだよね。


自分の寂しさに気づいて
自分と対話することが
寂しさを埋める方法だと思う。


寂しい自分も可愛いよね。



どんな自分も可愛いよ。

どんなあなたも可愛いんだよ。



「自分は寂しい」と受け入れた上で
恋愛しても良いんじゃないかな?

って、そう思えたなぁ😌


「寂しいわたし」だって
本当の自分だからそれも受け入れよう。



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