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人間は不完全だからこそ、愛を知れる。幸せを味わえる。



ねぇ、知ってる?


人間は完全じゃないからこそ
相互依存ができるんだよ。


完全じゃないからこそ
いろんな感情を味わうことができるんだよ。




最近、罪悪感を感じる
自分と向き合っていて
それも終わるのではないか…?
という感覚がきたので、執筆しています。



人に言えないような罪悪感や
何か大きい闇を抱えている人に
メッセージです💌


不完全な自分を認める

  • 不完全だから愛を知ることができる

  • 自分一人で何でもできたら愛を知ることはできない、気づけない

  • 愛を知るために他人がいて、関わりがある

  • 闇が強ければ強いほど、愛が強い、深い、大きい

  • 罪悪感は愛から自分を守るためにある、愛に気づくと幸せになれるからこそ手放しにくいもの

  • 幸せになる恐怖が大きければ大きいほど幸せになれる、幸せに気づける

  • 罪悪感をくれた人は、愛が大きくて深くて、愛の塊の人



昨年の10月に母が亡くなってから
わたしの中にある母親への
深い罪悪感がなかなか手放せなくて…
ずっと向き合ってきました。


自分にかけた呪いは「罪悪感」


罪と悪の感情。


罪悪感ってとっても重いんです。

重い鎖で自らを動けなくしているんです。


何回も何回も何回も
泣いて吐き出しているのに…
まだ解けていません…。



最近、罪悪感を手放せる感覚があって
向き合って、気づいたことがあります。



「罪悪感を持っている人ほど、
愛が深くて大きい」


手放せば軽くなるのに
手放せないのは・・・

愛を受け取る恐れがあって
罪悪感から解き放たれたときに
「どうなるかわからない」という怖さ。


幸せになることへの恐怖

から、なかなか手放せなくなる。


本当は愛を受け取りたいのに
罪悪感から自分を守っていて
気づいているのに…
手放せないからとても苦しい。


罪悪感が強い人ほど
愛の大きさをわかっているのに…

「罪悪感」という
自分を守る盾を手放せない。


自分を守る盾の正体はなにか?

まずはそこに気づく必要があります。


手放せない罪悪感の正体



わたしが手放せないのは、
自分が「自由になること」への罪悪感。


自分で自分のことを
「自由になってはいけない」
縛っていることに気づいています。


でも・・・
いくら「こんな思い込みがある」と
頭でわかっていたって
手放した体感がなければ抱え込んだまま。


頭と心が一致していないもの。



わたしは、3年前の夏、
認知症でもうどうしようもない母親を
精神病院に入院させました。


被害妄想、幻覚、深夜徘徊、
近所へのさまざまな行為が重なって
もう一人で暮らせる状態ではなくて…

無理やり、入院させたんです。


実家から距離のある
わたしが面倒を見ることもできず、
親戚からは「仕方ないよ」と
同情してもらったけど…

心の中に溜まる罪悪感は
どんどん大きくなりました。。。


入院させた頃には、
わたしは母に会うと過呼吸になるほど
会うことすら怖くて……
逃げることしかできなかった。


その時は「仕方ない」と思って
心を捨てて我慢していた。

自分の心に見て見ぬ振りしていて
むしろ、そんなことにも気づかないくらい
自分と向き合うことはしていませんでした。


「本当にこのままでいいの?」

なんて、声も聞こえない状態で過ごしていた。
無視していたのかもしれない。



母が入院している間に
施設にいる父が亡くなり
その後、父を追うように母が亡くなってから
我慢していたものが溢れ出してしまった。


罪悪感の塊に気づいてしまってから
母を不自由にさせた
自分への罪意識が抜けない。

今もなお、思い出すと苦しくなります。



「そんなこと、しょうがないじゃない!!」

「自分の生活を守るためには仕方なかった・・・」

「もう父には頼れない」

「わたし一人でなんとかしないといけない」

「周りにたくさん迷惑かけていて、もうどうしようもない」

「もうこんなことで悩みたくない・・・」


「もうこんな人生、嫌だ・・・」


20代のわたしには
自分の人生よりも親の人生が
重くのしかかってきて、

もうどうしようもないくらい
周りが暗く見えていました。



今も自分の中では
「こうするしかなった」
「これが最善だった」

と思っているのに……

本心からは…そう思えない。


今でも認知症の人を見たり、
Xなどで投稿を見ると
なんだか悲しくて涙が出てきます。



「これが最善だったんだよ」

なんて、思えないんです。


自分の心に素直になればなるほど
罪悪感の沼から抜け出せないんです。


自分にわがままになって
素直に生きようとすればするほど
母への罪悪感を手放したいのに
手放せないような感覚がくる。


「今」この瞬間を生きているのに
「過去」のわたしがまだ出てくるんです。


まだ、完全に自由になることを恐れている
過去のわたしがそこにいる。



でも、
これもわたしにとって
大切な過程だとわかっています。


人それぞれ、段階があるから…
いきなり人を愛するとか、できない。


今の自分のステージで
もがいて苦しんで
1ミリずつ成長するしかない!!


だから、
わたしは自分の闇を隠すことなく
noteに書いています。


罪悪感は自分を守るための
被害者意識



自分でも「被害者の意識」
を持っていることに気づいています。

noteの発信でも何回か言っている通り、
罪悪感は自分を被害者にするための意識。

自分を守るための意識です。


わたしは、
母から逃げてしまった後悔や
罪悪感を持つことで
自分を悪者にしようとしている。


自分一人で責任を取ろうとしているんです。


「自分が悪い」と思うことで
「自分で自分を幸せにする」という
自分の責任から逃げている。


本当は、家族みんなの責任になるのに、
わたしが一人で親の責任まで抱え込んでいる。


今、抱えている罪悪感の根幹にあるのは

「親の幸せ」の責任まで
取ろうとしていること。


もう亡くなった親の幸せまで
「責任を取れなった・・・」と悔いている。


こんなのわたしのエゴ。


両親がどんな想いで
亡くなっていったかなんて
どんなに考えたってわからないもの。





本当に馬鹿馬鹿しい。



だけど、
それだけわたしは両親のことが好きで
幸せになってほしくて
ずっと愛していたんだなぁって
今さら気づきました…。



もう、自分で自分を責める必要はない。


親の幸せは親のもので、
わたしの幸せに何も関係がないのだから。


人間はみーーーんな不完全!!
だから幸せ。



人間はみんな、
不完全なまま生まれて、
不完全なまま亡くなっていく。



この自分の罪悪感と向き合うと、
わたしは「完全」な親を求めていたことに
気づきました。


わたしの親も、
自分にも子どもにも「完全」を求めていて
みんな「完全であることが正しい」と
思い込んでいたのかもしれない。


自分が欲しいと思う
「完全」な愛を欲してしまっていた。


愛は求めれば求めるほど
見えなくなっていく。


だから、
自らの力で愛に気づかないと
「幸せ」に気づけなくなってしまう。


今朝、自分と対話したときに
自分からメッセージをもらいました。

自分のこと完全だと思っているの?

不完全だから、この結末だったから、
いろんな人の手を借りれることができて
周りの人の優しさや愛を知ることができたのに。


どうして、そんなに自分を責めるの?

まだ愛を受け取れないの?

母が教えてくれた愛を
受け取り拒否しているよね?


これで良かったんだよ。

目に見えない愛を
たくさん知ることができて、
それを人に伝えることができるんだよ。


結末は、全然ハッピーエンドではないけど

母が亡くなる結末までの過程の中で
たくさんの人に助けてもらって、
本当に周りの人が優しくしてくれて…
その愛に気づくことができたことが
すごく幸せなことなんだなって。


罪悪感がある状態だと、
過程の中にあったはずの愛に
気づかずに受け取れないまま。

自分の器が広がっていかないんだ。



愛を受け取る器を広げるためには
自分の幸せの責任を自分で取ること。



不完全なわたしだから
こんな経験を積めたのだと思う。


不完全だから、
みんなで助け合って生きていくことで
たくさんの感情を味わえる。


みんな、不完全だからこそ
より多くの幸せを味わえる。


人間は完全じゃないからこそ
相互依存ができるんだよ。




ここまで、読んでくださって
ありがとうございました😌


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