刺激的な恋愛と安心する恋愛どちらがいいか?!
「刺激的な恋愛」
「安心する恋愛」
どちらがいいですか??
と、聞かれたら
ほとんどの人は「安心する恋愛」と
答えると思う。
わたしも「安心」を取る。
だけども、
本心では「安心」を求めているのだろうか?
安心した恋愛をしたいのに
なぜかドキドキする人を好きになったり
安心しているのに不倫をする人もいる。
自分が満たされない限り、
安心よりも刺激を取りにいってしまう。
刺激物は一瞬だけでも、自分を満たせる。
人間は快楽に弱い。
刺激を入れるとなかなか元に戻れない。
刺激的な日常であることすら
忘れてしまうんだ。
その日常にのめりこんでしまって
自分のことが見えなくなっていく。
それは恋愛だけでなく、
人生そのものにも通ずる。
むしろ、
人生そのものに刺激を求めているから
恋愛も刺激的になっていくのだろう。
わたしも、
いつからか人生に刺激を求めてきた。
でもね、
自分じゃ全然気づけないんだよ。
ずっと苦しい思いをしてきた。
自分のことなのに
自分が一番見えないんだよね。
だからこそ、
他人と接することが大切だとも思う😌
特に自分に近い
家族やパートナーがいるから
視えることってたくさんある。
安定を求めるのも
刺激を求めるのも
今の自分が一番知りたい
自分がそこに在るからなんだと思う。
いろんな自分を受け入れてきたからか
最近は「何でも良いなぁ」と
思えるようになってきた。
「何でも良い」と思い始めると
不思議と景色が変わって見えてくる。
そこでやっと、見えたんだ。
「わたしは自分で刺激を望んできたんだ!」
そんなことに気づいた。
刺激的な人生を送ることによって
満たされたかった。
わたしは刺激がないと物足りなくて、
心が満たされなくて
感情が揺れ動くような
刺激を欲してきたんだ!!
「安心したい」と口では言っていたけど
本当は「刺激が欲しい」って
ずっと思ってきた。
「安心した恋愛したい」よりも
「刺激のある不安定な恋愛したい」が
強かったんだよ・・・
不安定さが、自分の心地良さだったの。
不安定さが、自分の快楽だったの。
「心地よく過ごそう」ってよく言うし
わたしもたくさん言ってきたよ。
だけどね、
わたしにとって心地良かったのは
「刺激的で不安定な人生」だった。
「安心・安定の人生(恋愛)」は
わたしにとって居心地が悪いから
いくら願っても叶わなかった。
「何が心地良く過ごそうだよ・・・」
自分の心地良さの前提が
わかっていない状態で
そんなことを言っても
自分の世界が変わらないんだなって思った。
満たされない自分を
どうにか満たすために
無限に刺激を生み出し続けていた、なんて。
会社員時代に
「安心・安定の人生でいいの?!」
と、自問自答した時期があった。
「このままじゃ、嫌だ!」
と思ったから起業しようと思ったんだ。
「普通の人」でいたくなかった。
今思うと「普通の人」というのは
自分で生み出した幻想の人だった。
自分と他人と比較して
生み出しのが「普通の人」という
ただのキャラクターだった。
みんな、同じ人間なのにね。
分別つけていたのは自分なのに
自分では気づけないんだよね…
もう今のわたしは
「わたしは普通でもいい!」
「特別でもどっちでもいい!」
と思えるようになった。
どっちの自分も「自分」でしかないから。
そう思えたから
「今ある仕事を楽しくやろう!」という
気持ちに変化が出てきたのだと思う。
「置かれた場所で咲く」という意味が
やっと、わかった気がするよ。
わたしは幼少期から
刺激的な人生を送ってきた。
ずっと、
親のせいにして文句を言ってきて
悲劇のヒロインぶって
愛情をもらいたくて
誰かに縋り付きたかった。
自分が被害者でいることが
快楽だと感じていたから
刺激から抜けられなかったんだよね…
「誰か、わたしを愛して」
「こんな酷い扱いをされた
わたしを受け入れて」
自分の世界を創って
被害者ポジションに酔っていたんだ。
でも、
それだと本当に欲しいものは手に入らない。
物足りなくて・・・
満たされなくて・・・
もっと、大きな刺激を生み出していた。
お金が動かしたり
いろんな仕事をしたり
いろんな人と付き合ったり
危ない恋愛をしてみたり
会社をやってみたり
全て刺激的で感情が揺さぶられた。
すごく暗い時期で
感情が波のようになっていて
自分を保つことに精一杯だった。
でも、それは自分が望んでいたこと。
自分にとって心地良かったんだなぁ。
感情が揺さぶられることが
当たり前の日常だったから
感情が動かないことに
物足りなさを感じていた。
両親と住んでいた時は
辛すぎるあまり
意図的に心を殺してきたけど
それも完全にはできなくて
漫画やアニメで感情を引き出してきた。
今思うと、
二次元も感情を動かすための
刺激物の一部だったのかもしれない。
心から安心できてくるとさ、
感情って動かなくなってくるんだよ。
良い意味で感情が動かなくなってきて
揺さぶられることはあるけど
すぐに戻ることができるんだ。
それに何となく物足りなさを感じて、
初めて気づいたんだよね。
今までのわたしは、
不安定さという居心地の良さを求めて
刺激を拾い集めてきたことに。
刺激的なことがなくなって
安心感が出てくると
SNSでつぶやくことがなくなる。
「あぁ、SNSで発信できない」
それすらも焦りが出なくなる。
「自己主張もしなくていいな」
とすら、思えてくる。
今まで発信したきた内容も
note記事もSNSのつぶやきも
自分が気づいたことと
自分の主張を入れてきたと思う。
「わたしはこれに気づいた!」
「わたしはこう思う!」
「わたしの意見はこうです!」
と、力強い言葉で書いてきたし
自分の思いを届けたかったんだ。
自分が気づいた大切なことを
自分の力で表現して
多くの人に届けたかった!!
でも、今は力強さはない気がする。
力みが取れてきたのかもしれないね。
自分が何でも良くなったから
他人も何でもいいし
別に届いても届かなくてもいい。
自分には自分の世界で学びがある。
他人には他人の世界で学びがある。
だから、
強い言葉を言わなくても大丈夫だし
自ら分離しなくてもいいと思うんだ。
「届く」「届かない」も
わたしがコントロールすることではない。
安心・安定の人生って
段々と自分の感情が
動かなくなってくるんだなぁ
と、なんとなく感じている。
もう書いているうちに
何だかよくわからない文章を書いているけど
それもたまには良いかな、と思ったり。笑
やっと、安心した日常が
わたしにとっての
心地良さになっていくのかな?✨
自分と向き合ってみたい人、
艶と直接話してみたいは
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