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子供の髪を脱色する親の心理や経緯を考える

駆け出しのライターとして出会ったメンバーたちが、毎回特定のテーマに沿って好きなように書いていく「日刊かきあつめ」です。

今回のテーマは「#ヘアースタイル」です。

週末に、妻と息子と、近所の大きな公園へ行ってきた。遊具のまわりは賑やかで、遠巻きに眺める保護者も含めれば、その一帯だけで100人ほどはいただろう。

群衆に紛れる息子を見守っていると、あたりの子供も視界に入る。その中に、前髪にハイライトを入れた子がいた。顔は幼く、園児か、せいぜい小学校低学年くらいに見える。ブリーチしたのであろう、黄みがかった金髪が、黒髪と対照的でよく目立つ。

保育園の送迎時にも、髪を脱色した子をたまに見かける。こういうときとっさに、「子供をなんだと思ってるんだろう、どうしようもない親がいるなあ」なんて考えが頭をよぎる。それと同時に、「親を非難する思考が浮かぶこと自体は仕方がないとしても、そこで思考停止してはいけない」と自分をいさめる。

私には想像もつかないような理由があって、その理由を知ったら、私も息子の髪を脱色するかもしれない。そういう可能性を考えておかないと、知らず知らずのうちにハラスメントをする側に回り、誰かを傷つけてしまう。

そんなわけで今回は、子供の髪を脱色する親の心理や経緯について考えてみたい。

今回のケースでまず気になるのは、親が勧めたのか、子が求めたのか、それともその両方なのか、という点だ。

親が勧める場合、(親が)かっこいいと思うから、かわいいと思うから、やりたいから、以外の理由で勧める可能性はあるだろうか。やらないと子供が仲間外れにされる、なんてことはないと思いたい。昔と比べれば子供の髪型もずいぶん多様化しただろうが、それでも髪を脱色している子供は多くない。100人いる公園でも、せいぜい1人2人いるかどうかといったところである。地域差も大きいだろうが、「髪を染めている子の方がふつう」という地域はさすがにないのではないか。あるいは、子供の頭髪を派手にしなければ親自身が所属グループからのけ者にされる、などといった、親側のコミュニティの都合はひょっとしたらあるかもしれない。もしもそうだとすれば、それはヘアースタイル云々どころではない、ずいぶん根深い問題である。

他に、「むしろ子供を守るために髪を脱色している」という可能性はあるだろうか。例えばインドのヘナは、植物由来の染料で、染色に限らずヘアケアの一環として子供に使われるケースもあると聞く。しかし、ヘナをヘアケアに使用する場合は脱色する必要がないし、どちらかというと生まれ持った黒髪を守るためのものだから、今回のケースとは根本的に異なる。

一方、子供のほうから脱色することを求めた場合はどうだろうか。我が家の場合、頭ごなしに否定することはないとしても、言われるがままに染めるわけもない。では、毎晩まぶたを泣きはらすほど懇願されたらどうか。それでも我が家ではやらない気がする。やる理由がない。めいっぱい譲歩したとして、自分のお小遣いで美容室にいけるようになってからやれ、で終わりだ。その頃まで執着し続けられたら、それはそれで大したものだと思う。そもそも身近な人が染髪や脱色をしていなければ、懇願するほど執着することもない気がするが。

そんな具合で、子供の髪を脱色する親の心理や経緯についてざっくり考えてみた。

個人的に、「親の所属するコミュニティの都合」はなかなか無視できない要素だと思った。表面上は親の好み(かわいいから、かっこいいから)として処理されているかもしれないが、その嗜好でなければそこにいられない、という同調圧力が働いている可能性はある。

ヘアースタイルは外見に占める割合も大きいから、どこにいるかによって、傾向は大きく変わる。自分の目には信じられないほど奇抜な髪形をしていても、その人の世界では「そうあらねばならない」ほどの理由があるものだ。特に子供は、大人に与えられた選択肢しか選べない。

だからこそ、こんな子供が髪を染めるだなんてとんでもない、と思考停止するのではなく、その背景や本人の気持ちまで考えて見守りたいなと思う。

執筆:市川円
編集:otaki


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