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ストーリーがない言葉は心に響かない

「お前、この間と言ってること違うじゃねえか」って言いたくなる指示を仕事中に受けました。おかげで2日分の作業がほぼ無に帰すことに。それはちょっと大げさか。

まあ愚痴はさておき、上司から理不尽な命令を下されたこと、社会人なら誰しもあるでしょう。

私も今回が初めてではなかったので、そこまで怒りは湧きませんでした。代わりに、「理不尽」って感じたのはなぜなのか、ちょっと考えてみました。

「理不尽」は「間違い」ではない

今回の場合、上司の指示に一貫性がなかったことが原因なのは明白です。と言いたいところですが、その指示、本当に一貫性がなかったのでしょうか。

実際のところ、冷静に考えれば、何が理由で指示を変えたのかなんとなく理解できます。でも納得はできませんでした。むしろ、「なんとなく理解できる」からこそ、理不尽だと感じた気がします。

つまり「理不尽」だと感じるとき、私たちはその指示が理解できないわけではなく、もっと言えば「間違い」だと思っているわけでもないんですよね。

その指示の正当性はそもそも疑っていません。それすら疑う職場ならとっくに辞めてます。……そこは個人差あるでしょうけど。

圧倒的に「説得」が不足している

思うに、足りないのは「説得」です。説明して納得させる、というプロセス。説明するだけでは意味がありません。相手が納得してはじめて説得になるんです。もしくは納得しないまでも、納得させようとする意思とでも言いましょうか。

特にスピード感を意識する人は、このプロセスを軽視しがちなのではないかと思います。なんなら時間の無駄とすら思っているかもしれません。

でも理不尽な指示で動き出した人は、それなりの働きしかしません。だって納得してないんだから。

少なからず腹立たしく思うのも、その指示に対してではなく、説得するプロセスを省かれたことに対して苛立つのではないでしょうか。きちんと説明してくれればわかってあげられるのに、どうして、と。

別に、会社の理念が大したものである必要なんてないんです。そこに納得のいくストーリーがあって、そのストーリーを体現している人さえいれば、人はついて行くはずです。

ストーリーを考えずに、ハリボテだけ一所懸命立派にしたって、たかが知れてます。

ストーリーがあれば心は動く

これって、何にでも言えることではないでしょうか。あらゆるコンテンツも同じです。

ストーリーが伴わないのに体面だけ取り繕っても、心には響きません。心に響くストーリーがあれば、見せ方は多少拙くたっていいんです。

文章や絵は拙いけれどおもしろい小説や漫画、映像は安っぽいけれど引き込まれる映画やドラマ、いくらでもあります。

逆も然り。どんなに巧みな文章、絵、映像、音で訴えかけても、そこにあるストーリーやシーン作りが薄っぺらければ、心は動きません。きれいだなー、とか、かっこいいなー、とか、薄っぺらい感想を抱いて終わりです。

逆に、ストーリーさえしっかりしていれば、いつもなら目を向けないようなささいな出来事も、驚くほど輝きます。

自分のストーリーを見つけたい

仕事でちょっと納得のいかない指示を受けただけで、こんなめんどうくさいことを考える。これは自他共に認める自分の個性です。

では、こんなめんどうくさいことを考えるようになった私のストーリーは、一体どこにあるのか。こうしてアウトプットし始めて、少しずつ見えてきたけれど、まだ自分では掴みきれていません。

人の心を動かしたいなら、まずは自分のストーリーを浮き彫りにしなくては。

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