【エニアグラム用語】ホーナイの三つ組み

 自己主張(アグレッシブ)型、追従型、遊離(引っ込み)型、の説明をします。
 エニアグラムを学んでいて、「あの人は、活動的だな」とか「あの人は、前に出ないな」とか、"本人の発言"では無く"本人の態度"が気になり始めたら「ホーナイの三つ組み」の出番です。

  ホーナイとは、カレン・ホーナイのことです。

カレン・ホーナイ(Karen Horney, 1885年9月16日 - 1952年12月4日)は、精神科医、精神分析家。新フロイト派とされる。
精神分析の男性中心的な部分(女児の男根願望など)を批判した。フェミニズムにも影響を与えた。

ウィキペディアより

 このホーナイが提唱した3つの型に、エニアグラムの性格タイプを当てはめたのが『ホーナイの三つ組み』です。9つの性格タイプを自己主張、追従、遊離で三つに分けます。今、エニアグラムで使われているホーナイの三つ組みはリソとハドソンの考えが元になっているようです。

 この『ホーナイの三つ組み』は、エニアグラムを行っていて雰囲気が分かり始めた人には、使いやすいものです。私の感覚で言えば、活動的で活発な感じがする人たちは、自己主張型。引っ込んでいたり、おとなしい人たちは、遊離型。その他が追従型。という感じです。もちろん例外はありますが、これが分かりだすと、大抵の人は、他人を雰囲気で判別しようとしはじめます(もちろん失敗は多いです)。
 このホーナイの三つ組みは、雰囲気だけで判別できるので、雰囲気が分かり始めた人には非常に便利な分類方法です。
 初心者が、性格タイプを雰囲気で判別し出す、始めの一歩が『ホーナイの三つ組み』と言えます。

 タイプ3、7、8が自己主張型で、アグレッシブ、活動的、活発、といった感じの人たちです。
 タイプ4、5、9が遊離型で、引っ込み型とも言われていて、引っ込む感じ、おとなしい印象のある人たちです。
 タイプ1、2、6が追従型で、みんなの中にいる感じの人たちです。

 参考までに、ホーナイが考えた三つのパターンの詳細を、
ホーナイ | 異端的女性精神分析家のシンプルな性格分類(矢幡心理カウンセリング研究所)』から加工して引用し、以下に説明します。

 当人が意識することができない相反する欲動が存在することから発生する神経症的葛藤は、はっきりと自覚できないがためにストレスが高まるばかりで人間を無力化する強烈な葛藤である。
 この葛藤に対処するために「他人と張り合おうとする」「他人から距離を取る」「他人に近づこうとする」という大きく分けて3種類の方法が選択される。だが、たいていの場合、この三つが入り交じっており、そのうちの一つが優勢である、というのが実態である。


自己主張型 タイプ3、7、8

 「他人と張り合おうとする」と言うのは一言で言えば攻撃性の強い性格者である。彼らは「他人が自分に敵意を向けている」という基本的な人間感を持ち、社会とは弱肉強食のジャングルである。彼らはそのような人間不信を外見的な愛想のよさで押し隠していることが多いが、それも対人戦略として採用しているのにすぎない。追従型の性格者が心の底からお人好しでそれを表に表しているのに対し、この攻撃的な性格者はうわべと内面とが食い違っている。自分を強く見せかけようとして外面をとりつくろっているのである。
 エゴイスティックな彼らは、「他人を制限する」とことを最優先し、支配や恩を売ることまで含めた数多くの手段が、各個人の資質によって採用される。彼らは外的世界での権力獲得・称賛を求めているので、追従型人間と同様に自分の外部世界に重点が置かれ、勝利を獲得しても不安定感は解消できない。
 常に自分の利益からのそろばん勘定で動き、他人をだまし、搾取することもいとわない。彼らにとっては、感情は女々しいセンチメンタルにすぎず、あるいはせいぜい偽善である。相手の同情に訴えようとせず、勝つ事に全力を注ぐ。議論好きで自分は正しいと考え、他人の悪意に対してはきわめて敏感である。戦術家の彼らは合理主義者で計画的であり、勝利のために自分の才能を伸ばそうとするので成功することもある。しかし、彼らはそれとわからぬことが多いが、利害と無関係な楽しみを抑制している。だが、彼らは強者として他人に承認されることは求めている。


遊離型 タイプ4、5、9

「他人から距離を取る」という傾向を基本的な葛藤を引き起こす根源的要求と位置付けている。ホーナイが問題視しているのは、自己実現のための孤独ではなく、「他人と一緒にいる緊張」からの回避手段として孤独が選ばれている、というものである。
 問題は、彼らが他人と他人が内面に入り込もうとしたときに不安反応を起こすこと、そして他人と情動的な関わり合いを持つことを回避しようとしている点である。一方で、一種の精神的自給自足を実現するために様々な工夫を凝らす能力を見せることがある。だが、そのためには自分自身の欲求を制限しなければならないことも多く、自らに、何かに対して愛着を持つことを制限し、「これなしではいられない」という不可欠なものも一切作らないでおこうとすることがある。知識を獲得しようとする場合に、他人からの情報を受け入れるよりも、直接自分自身で確認しようとすることもあり、これが内的独立を促進することもある。
 彼らは、自分自身をベールで覆い、プライバシーを堅持しようとする。
 他人と行動することには喜びが感じられず、楽しい思いをするのは、せいぜいあとになってそれを回想する時だけである。慣れなれしくされると自分の玄関に土足で踏みこまれたような不快感を感じる。他人にかき乱されるのを嫌い、いかなる体験でも他人と共有することを嫌う。
 彼らにとっては、独立それ自体が目標となってしまう。独立への要求は強迫的なものとなり、その過敏さによってこの傾向の強さが分かる。例としてホーナイがあげているのは、体を締めつける衣類・狭いところ・長期にわたる義務的関係・時間の拘束・世間に一般から期待される行動様式などへの恐怖や抵抗感である。伝統的な社会慣習に表面上合わせることがあっても、内心では抵抗していることがある。
 この離反傾向は根本的に「名誉ある孤立」という言葉が示すように優越感に結びついている。 また、彼が心ひそかにもっている優越感が何らかの失敗体験によって毀損されると、逆に孤独に耐えられなくなり他人に接近しようとすることもある。全体としては、孤独な人生のなかで、ごく時折対人関係を求めるエピソードが点在する、という人生になりやすい。


追従型 タイプ1、2、6

「他人に近づこうとする」とされている解決方法は依存性パーソナリティに相当するものである。ホーナイは、「追従的人格」と呼んでいる。
 これは「すべて人間的な親密さへの欲求、『何かに屈していたい』という欲求を中心とする」という。根底に「安全感を求める貪欲な衝動」が存在する。他人に受け入れられ、保護を受ることなどを求めるために、他人の要求に敏感になるということである。彼らは、他人の要求にほとんど自動的に素早く答えようとする努力を行う。しばしば、自分と他人とが些細な種類が合うなどの共通点を過大評価し、相違点を無視しがちである、という。
 彼らは「その一方で、自分の本当の感情が何であるのかが分からなくなってしまう」という。
 問題が起こったときに、まず自分を責めたり謝罪したりする、という反応を起こす。追従型の人間は、他人に依存するあまり、他人の言動の些細なことで不安に陥る、という弱さを抱えもつ。他人の評価によって、自己評価する。「ある人が彼から招待を受けた後で彼を招き返さずにいると・・・自己評価のバロメーターがゼロに落ちる」彼らにとっては、拒否・批判=破局であり、しばしば彼らは相手の行為を取り戻すために卑屈なまでの努力を始める。


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