SUWADA OPEN FACTORY見学から考える発信の世界
一昨日から昨日にかけて一泊、新潟県を旅行しました。楽器を持たないで(と言っても旅先で借りたけれど)お出かけをしたのは、本当に久しぶりのこと。北方文化博物館、日本海、満開の桜、美食、、、楽しい思い出はたくさんあるのですが、帰る直前に急遽立ち寄ることにしたSUWADA OPEN FACTORYの見学がとても面白かった(そして考えることがたくさんあって、noteを始めようと思うに至った)ので、その経緯を書きます。
立ち寄ったのは諏訪田製作所 SUWADA OPEN FACTORY
ググってみると、「一生モノの爪切り」だとか「究極の爪切り」を作っている工場らしい。演奏家にとって爪切りは大切なもの。ものづくりの工程をみるのも、ハーディングフェーレ(ノルウェーの伝統楽器)製作現場を見るようになってからますます好きなので、ちょっと無理して行ってきました。そして、買ってきました✁
工場の細かい説明や爪切りの素晴らしさは、ググれば山ほど出てくるので、1個5,000円もする爪切り(といっても、爪を切る上ではまったく支障のない工場限定のアウトレット品を、実際はもうちょっと安く購入している)をなんでさくっと買っちゃったのか、そしてnoteをはじめようと思うに至った理由について書きます。
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工場では最初に、爪切りを作る上で廃材になってしまう部分が7割ある、ということが見学者に一番最初に提示されます(写真は廃材で作られた写真とわたし)。他にも、書などのアートがセンスよく配置されている。
そして、大正時代に創業してからの爪切りの用途の変化、歴史的・文脈的な変化が示され、いくつもあるプロジェクターには働く人の姿が魅力的に映され、この商品ができあがるまでの物語や人々の思いがみえる。そして次の建物に入ると、実際に今働いている人たちがガラスケース越しにみえる。その人達は、売店で販売しているほどに洗練された作業着をきて、会社名の入ったお洒落なコンテナにものをいれて、作業している。
工場見学を終えて爪切りの値段を見た時、こんなに安いの?と思った。もちろん切ったあとの感触もよかったので、演奏のための投資だと思って即購入した。
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わたしは、音楽家は、極力、演奏に至るまでの自分の努力や苦労は言わないほうがかっこいい、と思っている。一方、言葉にしないとわかってもらえないことや、音では語れない、あるいは音にして語るべきではない部分があって、また、それを伝える力を持ち合わせた音楽家は多くないと感じている。
特にわたしがやっている民俗音楽(民族音楽)というジャンルは、本来民衆が自分たちで楽しむために行ってきて、それで収入を得たりするような性質のものではない。けれど、時代がかわって、自分が生まれた地域でない音楽を行うために、新しい言語を習得し、異国で暮らし、楽器を購入し、習い、沼の底に沈んだように疲れ切って日本に帰ってくる、ということをする人が生まれた。これは、本来の民俗音楽とは違い、対価が支払われないと続けられるものではない。
わざわざ海外から地域芸能を持ってこないで、日本のをやればいいじゃないか、という意見もあるかもしれない。だけれど、いまは地球の裏側にまでだって一日とちょっとで行け、インターネット上では一瞬で新しい友人たちに出会える時代。コミニュケーションの基本は相手を知ること、相手を知るためには彼らが育った土壌を知ること、芸能はその土地の文化がぎゅぎゅっと凝縮されたもの。みんなの代わりに命がけで地球を発見する冒険家がいるように、音楽家や民族音楽学者というような役回りをする人がいても、許されるんじゃないかと思っている。
ライブ・コンサート会場のお客様には、そういうのを抜きに、その場の空気だけで夢を見たり旅をしたりしてほしい。けれど、文化人類学者が論文にはかけないけれど大切な営みをみたのを人に伝えたくなるように、演奏会場ではする必要がないけれど、誰かに伝えたくなるような発見や知識は山ほどあって、そういうものも伝えていきたい。
そして、クラシック演奏家と比べて低くみなされがちな民俗音楽ジャンルの演奏家に対する、世の中の視線も変えていきたい。
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と、工場見学を経て、前々から気になっていた作業に着手することにしました。演奏が忙しいときはうまくいかなくなると思うけれど、一応第2・第4土曜日に更新するつもりです(この記事は、今日明日の現場である豊田市能楽堂に向かいながら書いていて、本当は日本語の精度をもう少し高めてから公開したかった)。
テーマは、わたしが日々得ている演奏に至るまでのインスピレーション、調べたこと、発見したこと、出会ったものものなど。音楽のまわりにあるものが多めになると予想しています。時々は何か弾いてアップしようとも思っています。
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