忘れた頃に真面目になんかする胡散臭い人-真澄雄太郎編-
先日、真澄雄太郎さんを撮影ってた時にですね、雑談気味で「苦手な役」みたいな話をしていたんだが、なんとなく個別でそれ弄るのなんかやってもいいよとしておもむろに実行された謎大会でございます。これをワークショップというのかさえも考えたくないわけですよ、嫌いなんですよ、そーいうの。でもたまには真面目にやるよ、ワシ。
が、ついに久々に「調教」の文字をテキストに打った時点で壊れている自分。いや本来「調教」と打つもん、ワシは、うひゃひゃ。
他所の子(アトリエ・アンジュさん)なんで別に洗脳するわけはない。ただまぁイベントだけど2回出てもらって、うちの動画も出てもらって、やはりクセっつうのはかなりわかっていて、それを生かすも殺すも彼本人だったり、劇団だったり、他のところに出た時の問題であって、その時、何をどう選択するか+混ぜあうかっつうのは彼自身の部分で、その選択は彼本人で出来る、わかってるっつうのはわかっていたから実行でございますよ。じゃなきゃやらん、怖いもん。
割とかなり真面目には弄った、弄んだ説濃厚。
彼はおもしろいと思うよ。引き出しをそれなりに持っているのは感じてて、でもその引き出しを使う場面や状況がなかったりもあるんだろうけど、器用と言えば器用で、不器用と言えば不器用なんだけど、あーしてこうしてと言うとどーとでも出来るっちゃ出来るから反応がなんか早くておもしろかった。そういう経験は積んでるのはわかってたけど、彼自身が忘れ去られていた引き出しもやはりあるわけで。要するに「掘り起こし」ですよ、何かと。その幅がちゃんとうまく出せればやはりおもしろい生き物だと思う。
久しくほんとにやってなかったことをした(笑)
基礎よ、これが基礎よ!(笑)
うちの子?な山崎正悟には数回やったかやってないかなくらいのことである。いや単純にめんどくさいのもあるし、ある程度日常的にちまちまやってるのもあり、あやつの問題と今回の通称:まっすーの問題というか、課題は別物である。別物ゆえに真面目にはした…多分きっと多分、えぇ多分。
最近もういろんなものが氾濫していて、何が正確な言い方なのかわからんのだが、台詞の音・節・言い方・言い回し・切り方・イントネーション・アクセント…まぁいろいろあるわけですけれども、そこに個人のクセが入るんだが、いらねークセが出る原因はあって、んまぁそれも自覚してる人はしてるわけで、でもまぁ潰すなり、意識変えるなり、習性化してしまっているものは外せるっちゃ外せるわけですよ。何が出来るか、出来ないかわかることも大事だしね、クセを自覚しないとさ、それが役なり、彼の魅力を殺す率もあって、効果的に出ればいいクセは存在するけど、そうでない場合は勿体ない話である。で、今の段階で出来ることっつうのは単純に突くことでござぃ。
ちなみにクセっていうのはいろいろなことである。発声の一音や、落とし方・上げ方、響かせ方、抑揚やら、なんやらである。
老体、しみじみとまだ耳は生きてるな…とか思いました(笑)
珍しくというか、一音一音やったで?
しっくりこないとか、言いにくい場合の謎方法もやったで?
最終的にどう読もうが、役なり台詞は「聞こえない」とダメであるとワシは思う。細かく言うなら「何を言っているかわからない」とそもそもどうにもならない話であると思う。台詞の意味も言葉そのものもだ。そこにどう感情を乗せようが、音でやろうが、単語強調だろうが、キャラを作ろうが、何しようとも何言ってるかわかんなきゃどうしようもない。聞いてられなきゃ聞くわけはないしね、見苦しいだけだ。
ま、通称:まっすーは基盤あるしね、ずっとやってるしね。やってるから大変だよねーと老体は思うのだった。真面目な子ほど難しいんだよね、と思う。