観劇感想大会沼。
おそらく同業者による観劇感想大会ほど受けたものに落差が発生するものだと思う。作演と役者で感じるものは違ったりもするけれど、ろくでもない感想言い合いの場合もあれば、ツボれば果てしない話になったりする。これは作り手側と普通に観劇するのが好きな人ではおそらく違う。純粋さの欠片はそこにないとも言う。
都合が合えば「ザ・お勉強」で、うちの子?な山崎正悟ったんを同伴していたりするが、最近はもう確実というか、感じるものはそれぞれなので確実というものはないが、「ここは押さえとけよ!」なところしか同伴しなかったりする。もれなく自分が激痛と戦いながら動く気が起きた場合に限るけど。
今日はなんでか出戻り姉貴と山崎正悟に挟まりながらシネマ歌舞伎に行ってきた。「野田版 桜の森の満開の下」である。出戻り姉貴はもともと歌舞伎好きなところに野田秀樹好きなのもあり、すでにコレ3回観てるんだけども、ワシも観てるんだけども、謎の「天國で天丼食う」というリアル餌で山崎正悟ったんを引きずり行って来たわけですよ。
席、自分真ん中。二回り干支から全部一緒のこいつらなんか嫌…と内心とてつもなく思っていました。公言もしましたけども、なんか複雑怪奇。
両隣、もれなく上映中笑ってうるさい羽目に。気が散る、マジで気が散る。自分は何見ても鉄仮面じゃないが笑いもせずに観るのが基本黙々です。
終わった後、この時間帯に行くよと宣言してたが、ほんとに中山侑子しゃんが来ているとは思いませんでした!(笑)
出戻り姉貴との感想は「勘九郎、亡き勘三郎にそっくりになってきたよね」ということを常に言うているんだけど、あとまぁ「やはり野田作品だよね」というなんかいつものただの姉妹会話で終わった。我々姉妹は中村屋一家を見続けていたので謎の感懐があり、別に語ることねぇわけさ。
んで、そのまま天國へ。天丼だ、移転後の天國初だわ。混んでたがカウンターが空いてたのでサクッと入れた。そして職人の技をガン見し続ける山崎正悟ったんに老体姉妹は笑っていた。見事なガン見だったわ。
同じ駅に帰るのに何故か途中で分かれて、山崎正悟ったんとお茶をした。姉貴は買物があり、自分は一服したいだけだったんだが、いつもの但馬屋にGO!ですよ。久しぶりに1階だったわ。
姉貴に謎の連れまわしをされたので休憩しつつ、ブツブツ大会が始まりましたよ、えぇ。ちょっと前にも坂東玉三郎の口上と衣裳のやつとKPR/開幕ペナントレースの公演を同伴していましたけれども、その後に彼は彼で観に行った公演もあったりして、その感想含めて二人でブツブツですよ。どっちかというと聞き側になるわけですけれども、こちらが。だって野田秀樹作品を彼はおそらく観ていないわけで、歌舞伎もちゃんと観てないハズ。でも歌舞伎というか、花組芝居の30周年ボーイでもあったので抵抗はなく、どちらかというと好きな世界で、今でも観に行ったりしているのでやはりその分ちゃんと観とけよ!もあるわけさ。わかってて花組芝居の公演を観るのとわからずに観るのはやはり違うと思う。最近不義理で行けてないけどさ。でもいきなり歌舞伎となるとさすがに敷居が高いか…となって、だったら映像ではあるけれど「野田版 桜の森の満開の下」に触れるのがいろんな意味でお得で、本人的にもいい意味でため息をつきまくった感想を言っていた。
ブツブツノンストップでした。
これね、ほんとにね、自分らのことは置いといてだね、同業者と言えばそうなのでもれなく同伴観劇すると、しかも良い作品見るとノンストップで細かいこと言い出し、さらにイマイチだったりしてもやはり細かいこと言い出してノンストップであるよ。たまに同伴するとろくでもないなと思うこと多々でございます。別に手厳しいこと言うわけでもないんだけど、なんかものすげー細かいことを双方言うのでろくでもないと思う。いやもう歳食ってるから細かいことは観てるけど、言うのめんどくさいんだが、聞かれるから答えると果てしないことになるわけですよ。しかもあやつは役者だからちょっと視点が違うのである。
これ素直な観劇好きの人と行った時とやはり感想の種類が違う。
素直な観劇好きの人と行っての感想大会はそれはそれで楽しいんだけれども、同業者というか、まぁ一応うちの子?な扱いにしてるのでいろいろとすり合わせをずっとしている分、同伴した後のブツブツは地味に成長してるんだなと感じるのでやはり「観といた方がいいものは観とけ」と思う。
目が肥えるというのもあるけれど、その時に観られるものと観られないものがやはりあって、そこに立ち会うではないけれど、やはりね、「観とけよ、んでブツブツ言っとけよ!」と思う。いいものを観た時のテンションのブツブツ度合が露骨に違うのですよ。それはいいことであるよ。
ただねぇ、問題があるわけよ。
老体は激痛な日々なのであんまり観劇出来ないんだが、それでも公演案内はバカスカ来るわけで「生きてたら行く」となるんだけれども、失礼な言い方でもあるんだが「この作品はきっとハズレ」みたいなのが過ることがそもそもあるわけです。それは好みもあるし、今別にもうそこ行かなくてもいいだろう的なこともあり、付き合いで行くにしても限度が遥か昔から発生してるのだよ。んでまぁ「ザ・お勉強」と称してある程度自分的に〇なところに同伴して外してない分、当たりが続くとだな、あえてハズレるかもしれないところに行く勇気が自分にはないっつう問題が発生するわけです。
いやどんな公演でもお勉強にはなりますよ、若者には(笑)
でも老体は別にいいやになるわけですよ、それが割と困る。自分にはハズレでもお勉強な彼には当たりな時もそりゃあるわけで、それはそれで感想言い合うのはいいんですけれども、楽しいんですけれども、それこそ沼だよなと思う。双方の感想が一致した時も沼だし、ズレた時も沼だ。不思議な沼だ。
行動する気力が沸かないのが申し訳ねぇなとは思う、何観たって若者?にはお勉強ではあるよ。でもな、老体はだな、激痛魔人なので限度があるよ。もう一人で行って来てくれねぇかなと思うくらいだ。
オチ:生きてたら同伴観劇するけど、生きてなかったらあちこち行けません宣言です。最近動くようにはしているが、それでもスケが厳しいわけよ、激痛も厳しいわけよ。でも観劇後に感想ブツブツはやはり楽しいと思うのである。
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