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相変わらず場外深刻と愛欲葛藤でしかないかなと思っていたいあたり。
多分ピーッな昔の引退前だったあたりから「場外深刻」と言い出し、でも「愛欲葛藤」だとかほざき始めたんだとは思う。深刻なことがあっても客観視しつつ、胸を搔きむしることがあってもそれでいいというか。
えっと10代~20代でんなこと思っていた老体です。
未だにそうだなとは思う。だってほっといても深刻なことっていうのはいろいろほんとにたくさんあって、でもその沼にハマるのは避けたいけれど、生きている限り葛藤は忘れたくはないなと。そういうものが無くなったらモノ作りとかしないなぁと思う。
創作意欲やら刺激の受け方は人それぞれだけど、心が落ち着いていないと無理派という人がいて、でもワシはそれではまったく何もする気が起きない派だった。一時期そのゼロからのところの差異、発端やらを互いに分析していたことはあった。自分が後者なのはそもそも葛藤から生まれたモノだから揺るぎようがないというか、そうでないとワシは作れない。平穏なんて知らないでいいし、知ってるけど、そこに身を置くことがシアワセだとは思わない。それが世間一般から外れてるレールだとしても、もう何言われたって知らんわね。とはいえ、若い頃から言われても気にしてなかったけど。
まぁこれは人嫌いだからこその人好き、もしくはその逆なだけやが。
悩みがあったり、苦しんでいたりすることはたくさんあるだろうと思う。誰にも言えないこともあるでしょう、そりゃ。だからこそカミングアウトだ、決意表明だと声を上げることもあるんでしょう。そうすることで奮い立たせるのももちろんわかることで、大げさだとしても、なんだとしても本人は真剣なんだろう。でもたまにそういう人らを見かけるとさ、その気持ちや考えはとても大切なものだけれども、そこまで背負う必要はないんじゃないかとも考えることがある。背負うことで、力むことで壁を作る言葉にしてしまっているのを見かける。
自分は自分じゃん。
いろんなものが要素であって、構成されてるんだけやん。それは他の人と違っていて当然で同じなことはない。1つか2つはあるかもしれないけど、全部は決してない。決してないことが救いだとワシは思う。1つか2つ、何かしら通じるものがあったらと思うくらいでちょうどいい。だからワシは自分の葛藤に深刻にならずに追いやることが出来たりする、糧に出来たりもする。
ただのアホですけども。
いい年こいて「乙女じゃ、乙女心は捨てないのじゃ」とほざくのやめれと言われ続けても、そういう達観はしねぇんすよ、そこは。老成しない大人です。でもそれはそれでいいやんけとやはり思うし、深刻な、真面目なこと言えって言われればそりゃ言いますがさ、抱えちゃいますけども、そこで力むのは勘弁かなぁ、ちょっと脇に投げといていいやん。
何も特別なことはなくて、特別にした方が、そう思った方が救われるのならそれでいいけど、でもそれって求めてるものとはずれていくことになってしまうことになりやすいから気を付けてと。大切なことならばこそ、ね。守ろうとして、守れなくなることはよくあることで、区切りとしては必要なのかもしれないけれど、やはり気を付けてと。
自分をわかって欲しくて、ならば余計にね。